2011年1月31日月曜日

原理講論 第二章 堕 落 論

第二章 堕 落 論


第一節 罪 の 根
(一)生命の木と善悪を知る木
(二)蛇の正体
(三)天使の堕落と人間の堕落
(四)善悪の果
(五)罪の根

第二節 堕落の動機と経路
(一)天使の創造とその使命および人間との関係
(二)霊的堕落と肉的堕落

第三節 愛の力と原理の力および信仰のための戒め
(一)愛の力と原理の力から見た堕落
(二)信仰のための戒めを下さった目的
(三)信仰のための戒めが必要な期間


第四節 人間堕落の結果
(一)サタンと堕落人間
(二)人間世界に対するサタンの活動
(三)目的性から見た善と悪
(四)善神の業と悪神の業
(五)罪
(六)堕落性本性


第五節 自由と堕落
(一)自由の原理的意義
(二)自由と人間の堕落
(三)自由と堕落と復帰

 第六節 神が人間始祖の堕落行為を干渉し給わなかった理由
(一)創造原理の絶対性と完全無欠性のために
(二)神のみ創造主であらせられるために
(三)人間を万物の主管位に立たせるために

2011年1月30日日曜日

原理講論 創造原理 第六節 より

原理講論 「創造原理」赤色(核心的内容)

第一章 創 造 原 理


第六節 人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界
(一) 無形実体世界と有形実体世界
(二) 被造世界における人間の位置
(三) 肉身と霊人体との相対的関係

(一) 無形実体世界と有形実体世界

被造世界は、神の二性性相に似た人間を標本として創造されたので、あらゆる存在は、心と体からなる人間の基本形に似ないものは一つもない(本章第一節(二)参照)。したがって、被造世界には、人間の体のような有形実体世界ばかりでなく、その主体たる人間の心のような無形実体世界もまたあるのである。

この有形、無形の二つの実体世界を総合したものを、我々は天宙と呼ぶ。

無形世界は主体の世界であり、有形世界は対象の世界であって、後者は前者の影のようなものである(ヘブル八・5)。有形世界で生活した人間が肉身を脱げば、その霊人体は直ちに、無形世界に行って永住するようになる。

(二) 被造世界における人間の位置

第一に、神は人間を被造世界の主管者として創造された(創一・28)。

第二に、神は人間を被造世界の媒介体として、また和動の中心体として創造された。

第三に、神は人間を、天宙を総合した実体相として創造された。

しばしば人間を小宇宙という理由は、ここにあるのである。

(三) 肉身と霊人体との相対的関係

(1) 肉身の構成とその機能

肉身は肉心(主体)と肉体(対象)の二性性相からなっている。

肉身の善行と悪行に従って、霊人体も善化あるいは悪化する。

(2) 霊人体の構成とその機能

この霊人体は生心(主体)と霊体(対象)の二性性相からなっている。

霊人体は肉身を土台にしてのみ成長する。それゆえに、霊人体と肉身との関係は、ちょうど実と木との関係と同じである。

霊人体はどこまでも、地上の肉身生活においてのみ完成できるのである。

霊人体の善化も、肉身生活の贖罪によってのみなされる。

天国でも地獄でも、霊人体がそこに行くのは、神が定めるのではなく、霊人体自身が決定するのである。

2011年1月29日土曜日

原理講論 創造原理 第四節 ,第五節より

原理講論 「創造原理」赤色(核心的内容)

第一章 創 造 原 理

第四節 創 造 本 然 の 価 値
第五節 被造世界の創造過程とその成長期間

第四節 創 造 本 然 の 価 値
(一) 創造本然の価値の決定とその価値の基準
(二) 創造本然の知情意と創造本然の真美善
(三) 愛と美、善と悪、義と不義
(1) 愛 と 美

四位基台は神の愛を完全に受けて、これを体恤できる完全な美の対象であり、また、完全な喜びの対象であるから、創造目的を完成した善の根本的な基台なのである。

第五節 被造世界の創造過程とその成長期間

(一) 被造世界の創造過程
(二) 被造物の成長期間

(一) 被造世界の創造過程

ここにおいて、宇宙は時間性を離れて突然に生成されたものではなく、それが生成されるまでには、相当な時間を要したという事実を我々は知った。したがって、天地創造を完了するまでの六日というのは、実際は、日の出と日没の回数によって計算される六日ではなく、創造過程の六段階の期間を表示したものであることが分かる。

(二) 被造物の成長期間

神は初めの日の創造が終わると、「夕となり、また朝となった。第一日である」(創一・5)と言われた。

これは被造物が創造されるとき、一定の成長期間を経て完成できるように創造されたからである。

被造物が完成するに当たっても、その成長期間は、蘇生期、長成期、完成期の秩序的三段階を通じてのみ完成するようになる。

人間は成長期間の三段階を完成できずに堕落し、創造目的を完成できなかったので、この目的を再び完成するに当たっても、この三段階を通過しなければならない。

人間は成長期間のどの段階で堕落したのだろうか。それは長成期の完成級で堕落したのであった。

(2) 間接主管圏

被造物が成長期にある場合には、原理自体の主管性、または自律性によって成長するようになっている。

万物は原理自体の主管性、または自律性により、成長期間(間接主管圏)を経過することによって完成する。けれども、人間は原理自体の主管性や自律性だけでなく、それ自身の責任分担を全うしながら、この期間を経過して完成するように創造された。

(3) 直接主管圏

直接主管圏とは直ちに完成圏を意味する。

2011年1月27日木曜日

原理講論 創造原理 第三節 より

原理講論 「創造原理」赤色(核心的内容)

第一章 創 造 原 理

第三節 創造目的
(一) 被造世界を創造された目的
(二) 神の喜びのための善の対象

(一) 被造世界を創造された目的
被造物の創造が終わるごとに、神はそれを見て良しとされた、と記録されている創世記のみ言を見れば(創一・4~31)、神は自ら創造された被造物が、善の対象となることを願われたことが分かる。このように被造物が善の対象になることを願われたのは、神がそれを見て喜ばれるためである。

すべての存在は二重目的をもつ連体である。

(二) 神の喜びのための善の対象
喜びが生ずるかという問題を先に知らなければならない。喜びは独自的に生ずるものではない。無形のものであろうと、実体であろうと、自己の性相と形状のとおりに展開された対象があって、それからくる刺激によって自体の性相と形状とを相対的に感ずるとき、ここに初めて喜びが生ずるのである。

三大祝福による天国が実現すれば、これがすなわち、神が喜びを感ずる世界であるということを、既に我々は説明してきた。

2011年1月26日水曜日

原理講論 創造原理 第二節 より

原理講論 「創造原理」赤色(核心的内容)

第一章 創 造 原 理

第二節 万有原力と授受作用および四位基台より

第二節 万有原力と授受作用および四位基台
(一) 万 有 原 力
(二) 授 受 作 用
(三) 正分合作用による三対象目的を完成した四位基台
(四) 神 の 遍 在 性
(五) 生 理 体 の 繁 殖
(六) すべての存在が二性性相になっている理由

(一) 万 有 原 力
神はあらゆる存在の創造主として、時間と空間を超越して、永遠に自存する絶対者である。したがって、神がこのような存在としておられるための根本的な力も、永遠に自存する絶対的なものであり、同時にこれはまた、被造物が存在するためのすべての力を発生せしめる力の根本でもある。このようなすべての力の根本にある力を、我々は万有原力と呼ぶ。

(二) 授 受 作 用
あらゆる存在をつくっている主体と対象とが、万有原力により、相対基準を造成して、良く授け良く受ければ、ここにおいて、その存在のためのすべての力、すなわち、生存と繁殖と作用などのための力を発生するのである。このような過程を通して、力を発生せしめる作用のことを授受作用という。

(三) 正分合作用による三対象目的を完成した四位基台

(1) 正 分 合 作 用
神を正として、それより分立して、再び合性一体化する作用を正分合作用と称する。

(2) 三 対 象 目 的
正分合作用により、正を中心として二性の実体対象に分立された主体と対象と、そしてその合性体が、各自主体の立場をとるときには、各々残りのものを対象として立たせて、三対象基準を造成する。そうして、それらがお互いに授受作用をするようになれば、ここで、その主体を中心として、各々三対象目的を完成するようになる。

(3) 四 位 基 台
正分合作用により、正を中心として、二性の実体対象に立たされた主体と対象と、またその合性体が各々三対象目的を完成すれば、四位基台を造成するようになる。

四位基台は正分合作用によって、神、夫婦、子女の三段階をもって完成されるのであるから、三段階原則の根本となるのである。四位基台は、その各位を中心として、各々三対象となるので、これらを総合すれば十二対象となる。ゆえに、十二数の根本ともなるのである。また、四位基台は、創造目的を完成した善の根本的な基台でもあるので、神が運行できるすべての存在と、またそれらが存在するための、すべての力の根本的な基台ともなる。したがって、四位基台は、神の永遠なる創造目的となるのである。

(4) 四位基台の存在様相
正分合作用により三対象目的をつくって四位基台を完成した存在は、いかなるものでも、円形、または球形運動をなして、立体として存在する。今、我々はその理由を調べてみることにしよう。

主体と対象とが授受作用をするようになれば、その対象は主体を中心として互いに回転して、円形運動をするようになるから合性一体化する。また、これと同一なる原理によって、その主体は神の対象となり、神を中心として回転して神と合性一体化し、また、その対象が、このような主体と合性一体化 するようになるとき、初めてその合性体は、神の二性性相に似た実体対象となる。このように、その対象は、その主体と合性一体化することによって、初めて神の対象となることができるのである。

2011年1月25日火曜日

原理講論 「創造原理」赤色(核心的内容)第一節より!

原理講論 「創造原理」赤色(核心的内容)

第一章 創 造 原 理
第一節 神の二性性相と被造世界より。

第一章 創 造 原 理


人間は長い歴史の期間にわたって、人生と宇宙に関する根本問題を解決するために苦悶してきた。

それは本来、人間や宇宙がいかに創造されたかという究極の原理を知らなかったからである。さらに、我々にはもっと根本的な先決問題が残っている。それは、結果的な存在に関することではなく、原因的な存在に関する問題である。ゆえに、人生と宇宙に関する問題は、結局それを創造し給うた神が、いかなるお方かということを知らない限り解くことができないのである。

第一節 神の二性性相と被造世界

(一) 神の二性性相

無形にいます神の神性を、我々はいかにして知ることができるだろうか。それは、被造世界を観察することによって、知ることができる。

作品を見てその作者の性稟を知ることができるように、この被造万物を見ることによって神の神性を知ることができるのである。今我々は、神の神性を知るために、被造世界に普遍的に潜んでいる共通の事実を探ってみることにしよう。存在しているものは、いかなるものであっても、それ自体の内においてばかりでなく、他の存在との間にも、陽性と陰性の二性性相の相対的関係を結ぶことによって、初めて存在するようになるのである。

我々はすべての存在を形成しているもっと根本的な、いま一つの二性性相の相対的関係を知らなければならない。存在するものはすべて、その外形と内性とを備えている。そして、その見えるところの外形は、見ることのできない内性が、そのごとくに現れたものである。したがって、内性は目に見ることはできないが、必ずある種のかたちをもっているから、それに似て、外形も目に見える何らかのかたちとして現れているのである。そこで、前者を性相といい、後者を形状と名づける。ところで、性相と形状とは、同一なる存在の相対的な両面のかたちを言い表しており、形状は第二の性相であるともいえるので、これらを総合して、二性性相と称するのである。

この存在は、まさしく、あらゆる存在の第一原因として、これらすべてのものの主体となる性相と形状とを備えていなければならない。存在界のこのような第一原因を我々は神と呼び、この主体的な性相と形状のことを、神の本性相と本形状というのである。

神は本性相と本形状の二性性相の中和的主体であると同時に、本性相的男性と本形状的女性との二性性相の中和的主体としておられ、被造世界に対しては、性相的な男性格主体としていまし給うという事実を知ることができる。

(二) 神と被造世界との関係

ここにおいて、二性性相を中心として見た神と被造世界との関係を要約すれば、被造世界は、無形の主体としていまし給う神の二性性相が、創造原理によって、象徴的または形象的な実体として分立された、個性真理体から構成されている神の実体対象である。

原理講論 第一章 創 造 原 理


目次
第一章 創 造 原 理



第一節 神の二性性相と被造世界

(一) 神の二性性相
(二) 神と被造世界との関係

第二節 万有原力と授受作用および四位基台

(一) 万 有 原 力
(二) 授 受 作 用
(三) 正分合作用による三対象目的を完成した四位基台
(四) 神 の 遍 在 性
(五) 生 理 体 の 繁 殖
(六) すべての存在が二性性相になっている理由

第三節 創造目的

(一) 被造世界を創造された目的
(二) 神の喜びのための善の対象

第四節 創 造 本 然 の 価 値

(一) 創造本然の価値の決定とその価値の基準
(二) 創造本然の知情意と創造本然の真美善
(三) 愛と美、善と悪、義と不義

第五節 被造世界の創造過程とその成長期間
(一) 被造世界の創造過程
(二) 被造物の成長期間

第六節 人間を中心とする無形実体世界と有形実体世界

(一) 無形実体世界と有形実体世界
(二) 被造世界における人間の位置
(三) 肉身と霊人体との相対的関係

2011年1月24日月曜日

原理講論 「総 序」赤色 後半

原理講論 「総 序」赤色(核心的内容)より!後半

このように、宗教と科学とは、人生の両面の無知を打開するための使命を、各々分担して出発したがゆえに、その過程においては、それらが互いに衝突して、妥協し難い様相を呈したのであるが、人間がこの両面の無知を完全に克服して、本心の要求する善の目的を完全に成就するためには、いつかは、科学を探し求めてきた宗教と、宗教を探し求めてきた科学とを、統一された一つの課題として解決することのできる、新しい真理が現れなければならないのである。

その新しい真理は、いかなる使命を果たさなければならないのであろうか。

神の救いの摂理が完全になされるためには、この新しい真理は今まで民主主義世界において主唱されてきた唯心論を新しい次元にまで昇華させ、唯物論を吸収することによって、全人類を新しい世界に導き得るものでなければならない。同時にまた、この真理は、有史以来のすべての主義や思想はもちろんのこと、あらゆる宗教までも、一つの道へと、完全に統一し得る真理でなければならないのである。

その新しい真理は、堕落人間が、その創造本然の人間へと帰っていくことができるように、神が人間をはじめとして、この被造世界を創造されたその目的はいったい何であったかということを教え、復帰過程の途上にある堕落人間の究極的な目的が、いったい何であるかということを知らしめるものでなければならない。

神は、既にこの地上に、このような人生と宇宙の根本問題を解決されるために、一人のお方を遣わし給うたのである。そのお方こそ、すなわち、文鮮明先生である。

原理講論 「総 序」赤色 前半

原理講論 「総 序」赤色(核心的内容)より!前半

人間は、何人といえども、不幸を退けて幸福を追い求め、それを得ようともがいている。

幸福はいかにしたら得られるのであろうか。人間はだれでも、自己の欲望が満たされるとき、幸福を感ずるのである。

ここにおいて、我々は、善の欲望を成就しようとする本心の指向性と、これに反する悪の欲望を達成させようとする邪心の指向性とが、同一の個体の中でそれぞれ相反する目的を指向して、互いに熾烈な闘争を展開するという、人間の矛盾性を発見するのである。存在するものが、いかなるものであっても、それ自体の内部に矛盾性をもつようになれば、破壊されざるを得ない。

人間のこのような破滅状態のことを、キリスト教では、堕落と呼ぶのである。

人間の堕落を知的な面から見れば、それはとりもなおさず、我々人間が無知に陥ったということを意味するのである。しかるに、人間は、心と体との内外両面からなっているので、知的な面においても、内外両面の知をもっているわけである。したがって、無知にも、内的な無知と外的な無知との二種類がある。

内的無知を克服して内的知に至る道を見いだすべく内的真理を探求してきたのがすなわち宗教であり、外的無知を克服して外的知への道を見いだすべく外的真理を探求してきたのが科学なのである。