2014年5月18日日曜日

霊界の実相と地上生活・第二章 霊界で見た暮らしと地上生活 2

五 霊界で見た中間霊界

(1) 中間霊界

 霊界で見た中間霊界は、地上で考えていたのとは違った所でした。地上で功労が多く、国家、世界に対して功績があった人たちの中で、神様に仕えなかったとか、宗教に対して関心がなかった人たちなど、地上で功績はあるが、信仰と関係ない人たちがたくさん集まる所です。

 ここでの暮らしは、天国のようでも、地獄のようでもなく、地上生活と似ていました。食事時間に例えれば、蔚房で働く人、御飯を炊く人、器を洗う人、食べ物を用意する人がいて、みんな共に苦労して、苦労した程度の代価をもらっている所です。

 また、人々の表情を見れば、天国では明るく、地獄では不安な顔ですが、ここではいつも休まずに熱心に働いて忙しい様子です。すべての人が熱心に暮らしながら福を受け、豊かに暮らしていますが、神様と宗教に対して関心さえない所です。

 ここで「統一思想」を講義しましたが、ある人が質問するに、『統一思想』とは、文字どおり思想を統一するということですが、人ごとに持っている思想が統一されれば、個体的な特性といったものがなくなって、まったく同じ人だけが暮らす世の中になりませんか」という、間抜けな質問をしました。ここでは、多くの時間をかけないと、伝道できないような感じがします。

 中間霊界とは、天国でも地獄でもなく、いろいろな階層が多いところです。そして、「統一思想」を理解させるのは難しく、「原理」も神様も理解させにくい所でした。一言で中間霊界といいますが、それは膨大な世界であるために、説明するのは大変です。

 中間霊界では、統一食口と一般人が、特別に区別されています。統一教会の信仰をしてここに来た食口の姿は、躍動感があり、難しい表情が全く見えません。また、平和な姿をしていて、とても熱心に活動します。例えば、ワークショップとか、宴会、ゲーム、和動会等、いつも忙しく楽しくしています。

 統一教会の食口でない他の一般人の姿は、それとはとても違います。彼らが生活する姿には、元気がなく、躍動感がありません。活動する姿は大抵受動的であり、怠惰で、仲間同士が集まって、退屈な顔をして暮らしています。

 ここで中間霊界に関して、統一食口と一般人の差について述べようと思います。

 我々食口たちは、能動的であり、活気に満ちて生活しているのに反して、一般人はそうではありません。なぜ受動的であり、つまらない退屈な顔をして暮らすかというと、彼らには望みとか、希望がないからです。しかし、中間霊界にいる我々統一食口たちは、神様の根本のみ旨を知って、そこで神様の特恵を待って暮らしているために、望みと希望をもっています。

 そのように同じ中間霊界といっても、我々統一食口たちがとどまっている所は、一般人たちがとどまっている所とは違うのです。しかし、気の毒にも、統一霊界圏に行けない食口たちもたくさんいます。その理由は以下のとおりです。

 第一に、祝福されても片方が脱線して、家庭をなせなかった。

 第二に、祝福されてもみ旨と関係なく暮らした。

 第三に、祝福されても軌道を離脱した暮らしだった。

 以上のような例が多いのです。

 彼らは食口といっても、名前だけでしたが、中間霊界に来ています。この食口たちは、神様や真の御父母様、興進様の特恵があるとき、公式的に恵沢を受けることができます。

 ここには食口の代表たちが、時々行って信仰指導や原理講義をしながら、レクリエーションもします。それゆえ、望みがあるのです。そしてまた、神様も興進様も、ここに関心をもっておられる姿をよく見ました。

 したがって、中間霊界とは、一般の人も来ることができ、我々食口たちもいる所ですが、特別に統一食口たちは、まるで特殊学級が別の教室に集まって、特別な指導を受けるように、意外な待遇を受けています。これは驚くべき事実です。

 祝福の意味は、地上に暮らすときはよく分からないでしょう。目に見えないからです。しかし、天の国では、とてつもなく特別な待遇を受ける条件になります。今、祝福の門が広がり、真の御父母様が、わずかな条件であらゆる人に祝福を下さるのは、すべての人に福を与えられるためなのです。その理由は、父母であられるからです。

 真の御父母様の地上生活は、多くの子供たちに福を与えてくださる期間です。それゆえ、我々は周りの人たちの鼻をつかんで引っ張っていってでも、祝福を受けさせなければなりません。それが彼らに福を与える道なのです。

(3) 楽園

 楽園は、天国と地獄の中間地点にある所だとすべての者が考えていました。しかし、ここ霊界で見た楽園は、地上で考えていたのと違っていました。楽園や、中間霊界は、地上で考えているようにきっちりと境界線を引いて説明することはできません。例えば、オーストラリアには、オーストラリア人だけ暮らしているのではないのと同じです。そこでは、いろいろの国の人たちがグループを形成して暮らすように、よく気が合う人たちが集まって暮らしています。

 例えば、コリアタウン、チャイナタウン、ジャパニーズタウンというように、中間霊界においても天国と地獄を除いたすべての霊人たちが、自分の階層、グループを形成しながら、仲間同士で集まって暮らしています。

一九九七年六月一日~七月二十八日)

六、 霊界で見た地上生活

(1) 貢献が多い地上人は霊界でどのように記録されるか

 地上生活とは、人間が霊界に来る前に、自分の人生をどのように生きたかという、生活それ自体がこの霊界に記録されていく過程です。例えば、地上で大統領として貢献をしたとしましょう。その人は、霊界でどのように記録されるでしょうか。

 自分個人のための人生ではなく、国家のために生きたので、その功績がこの国、霊界に記録されます。同時に、細々とした物質の不正、淫乱、誤った思想など、あらゆる記録が、まるで自分の自叙伝のように記録されます。

 このような暮らしの姿が、地上で最後に整理されるとき、霊界のどこに、どのように導かれるのでしょうか?

 神様が、無条件に現れて、「あなたは国の大統領として過ごしたから、どうぞこちらにいらっしゃい。御苦労だった」と言えば、どれほどいいでしょうか。しかし、とんでもありません。国の大統領もこの国に入ってくるときは、警護員の一人もなく来ます。自分の人生の基準の前に立つようになるのです。肉身の生命が終わったのち、少なくとも四十日が過ざてから、完全な霊界人になるのです。

 その人は、四十日間、地上と霊界を往来しながら、自分の居る所を定めます。定めるに際して、神様は介入しません。先祖たちが協助するにはするが、先祖たちも一〇〇パーセント協助できません。まるで風が吹けば、風のなすままに動いていくように、自分の居る所は、自分自ら探していくのです。誰も審判しません。それぞれ審判の位置が違うのです。そして自分の居所に行さ、落ち着けば、誰がさせるのでもないのに、自然に自分の引導者が現れて導くのです。

 霊界の級数によって、審判する雰囲気が違います。国の大統額を務めたために、全く恵沢がないのではありません。国に大きな貢献をしたことは、恵沢の条件になるとしても、自分の存在価値が善の立場に立てなかったなら、全く、断固とした処罰を受けるようになるからです。それが霊界です。

 それゆえ、この国、霊界では、大統領だとか、あるいは、一番下だというような階級的な差が、霊的基準を左右するのではありません。いかに正しく人生を生きたかという道徳的な基準が、その人の価値を評価する所です。

 「霊界では、学力の差による差別待遇はありませんか。地上では、学力のある人と、学力のない人の位置が違いますが、霊界ではどうですか? 学力がなくて末端で働く人たちは劣等意識を持ってはいませんか?」とリポーターが尋ねると、「霊界でも、自分の専攻によって、働く分野が違います。しかし、劣等意識というものは、地上とは違います。自分自身の人生の基準の価値を知らず、誤って暮らしたことが、最も恥ずかしさとして現れるのです。学力水準の差に左右される地上とは全く違います」と答えられました。

(2) 宗教人と非宗教人の差

 信仰をした人と、しなかった人の差は非常に大きいです。そこにも相当な階層があります。信仰をしていて、かつ善なる人は、本当に神様の霊界の恵沢を受けることができますが、信仰をしながら良心的でない人は、信仰をしなかった人と、ほとんど同じです。神様を知らない立場で、人生を生きた人はみな、神様と関係ない所にとどまるようになります。神様が特恵を施すときにも、非宗教人は、恵沢が与えられるのが遅いのです。

 天国にも特恵があるかと思うでしょう。神様が人間に聖霊によっての特恵を与えられ、人間を愛されるように、天国にも特恵があります。階層別に、自分の位置で自由の身となって、願う所へ移っていくときがあります。これは地上人の祈祷とも関係があります。そのときは、神様の命令によって移動するのです。

(3) 統一食口たちの位置は、他の宗教人たちとどのように違うか

 一言でいって、あまりにも大きな違いがあります。すなわち、霊界圏が違うのです。食口たちの各自の人生により、少しずつ違いはありますが、全体としての霊界圏の位置が違うのです。大きな違いというのは、神様に対しての位置のことです。

 神様の対話を感じることも、開くこともできない他の宗教人たちの領域があります。しかし、統一食口たちは、最初から大部分が神様と呼吸することができる位置にいます。ここでもいくつかの階層があります。グループによる差があるのです。申し訳ないことですが、李相軒が見た霊界を明らかにすることで、我々食口が地上の人生を整理することができるだけでなく、ここに正しく来るのに助けになるようなので、申し上げます。それが真の御父母様のための道だと考えるからです。

 三十六家庭の位置は大変なものです。家庭の階級においては最高です。しかしながら、最高の位置において赤裸々に自分の誤りをすべて露わにして生きていく苦しみとは、本当に表現しがたいものです。

 地上にいるとき、女性問題、公金問遺、その他の問題に引っ掛かった家庭は、地獄にいるのではなく、神様のそばにいながら、あらわになった姿で生きていかなくてはなりません。それは言葉で言えない苦しみです。

 例えば、他の女性と性関係を持っている場面が随時、皆の目に見えるのです。また、公金を自分勝手に使いながら、酒場に行って、女と堕落しながらお金をばらまく姿がはっきりと見えるのです。一言で、地獄よりもっと恐ろしい所です。

 その他の家庭が犯した罪も、罪の質によって階層がたくさんあります。しかし、大部分は、神様の近くにある霊界圏にいます。罪を犯した者たちが、集まっている監獄もあります。ここで罪人が集まって、自分の罪を蕩減する方法があれば、どれほどいいでしょうか? しかし、ここでは、自ら解決しうる罪の蕩減方法はないのです。

(4) 神様の特恵

 霊界人は、地上にいる後孫の祈祷、献金、奉仕などの功績を通じて、監獄の門が開かれれば、そこから出てくるようになります。その後、引導者が現れて、自分の位置に合うように導くのです。

 高位の家庭が、神様のそばで自分の罪をすべて蕩減して平安に生きていくときはいつでしょうか?自分が犯した罪を、後孫が蕩減してからのことです。後孫が祈祷して精誠を捧げれば、それを見る霊界人は、苦しくて逃げようとします。ところが、逃げていってもまた帰って来なければならない所が、自分の位置です。

 地上人の祈祷と精誠があれば、蕩減期間が短くなりますが、大部分はそれを知らないために、苦しみを受ける期間が長いのです。

 霊界で苦しみの期間が長ければ、地上の後孫は、知らず知らずのうちに、体の調子が悪くなります。先祖が苦しんでいるので、後孫も具合が悪くなるのです。つまり、先祖が犯した罪のために、後孫が罰を受けるのです。天道に逆らえば、行く道がありません。義の道に従って行くべきです。

(一九九七年六月九日)

七、 霊界人と地上人の生活

(1) 霊界人の暮らし

 霊界人は、地上の生活によって、霊界での自分の暮らしの位置が決定します。一か所に落ち着いていれば、特別な特恵がない限り、千年過ぎてもその位置で暮らすようになります。霊界の位置が平安な位置にいる人たちの後孫たちも平安に暮らしています。しかし、地上で自分の人生が過った人は、霊界に来ても地獄のような不便な所で暮らすようになり、後孫はいつも苦労し、さまざまな問題が生じるのです。

地獄の暮らしのように、霊界で苦痛を受けている人を見れば、その周囲は暗く、監獄のように自由がないのです。食べるものも、着るものもありません。そのような位置にいる者の後孫たちは、彼らの地上生活も開けていきません。そのため占いを見に行ったり、祈祷師を探したりします。そうして、先祖の問題が発見されると、祈って精誠を捧げます。そうすれば霊界にいる先祖が特恵を受けます。霊人は、その位置から移動したり、そこでの待遇が変わったりします。それは誰がそのようにするのでしょうか? それがきょう話そうとする主題です。

 地上では金を使ったり、権力の力も借りたりしますが、霊界にはそれがありません。風が吹き、花が咲さ、鳥が鳴くのは、誰かが命令したものではないように、自分が変わるのも、誰かの命令によるものではありません。自然に、自分が分かってそうするようになっています。霊界の罪人も、後孫たちが精誠を捧げれば、自然に自分が変わっていくことが分かります。

 地上でムーダン(巫女)が踊りを踊りながら先祖を呼び出すのは、その先祖にとって慰めになるだけで、位置を変えることにはなりません。しかし、次元の高い正しい祈祷によって特恵を受ければ、神様の命令によって天国の使者が訪ねてきて、より高い位置へ連れていきます。

(2) 地上人の暮らし

 それゆえ、地上の暮らしがとても重要です。霊界で特別な恵沢を受けて位置が上がっていくということは、時間がかかりすぎます。また無知なので、よく分からないのが常です。ですから、いつも永遠の世界に焦点を合わせて生活し、地上での人生を整理しながら暮らす人が、腎明な人です。

 どうせ来るようになるこの国、誰も避けることができないこの国は、必然的なものなのです。ですから、瞬間を誤って暮らす愚かな信仰者にならないよう願います。

 膨大なこの国の暮らしについては、すべてを表現することはできませんが、一言で要約すれば、自分の人生の実であり、結実です。自分の農作業の収穫です。もっと易しく言えば、罪を犯せば地獄に、善良に生きれば天国に行きます。永遠の世界のために正しく生きなければなりません。

(一九九七年六月十六日)

八、 地上人と霊界人との違う点

 ①  地上人

 まず、地上人について調べてみましょう。地上人は、肉身の目で見て、触って、行動します。地上人は、いつまでという限定された空間の中で、制約を受けて暮らしていきます。例えば、人間は、十年、二十年、六十年等々の期間にわたって暮らします。また、地上人は、自分が願ったとしても、すべてがなされるのではありません。

 地上人は、自分が考えている心を相手に正確に表すことがでさません。

 地上人は、食べたいけれど、自分が動かなければ、食べることがでさません。

 そして、地上人は、空間の中で行動するが、自分の理想の世界を描くとき、考えだけで終わります。

 また、地上人は、肉体的な苦痛を受けるとき、それを解決する方法について、よく分からないのです。例えば、信仰者は、祈祷などの方法で解決しようとする人もいますが、非信仰者は、病院に行って解決しようとします。

 ②  霊界人

 しかし、霊界人は違います。霊界人は、肉体的な制約がないために、自分の活動範囲が無限です。例えば、見るとか、触るとか、行動するということは、考えると同時に起こるために、時間がかからないのです。

 霊界人は、手を挙げて品物を移すとき、考えると同時になされるので、時間が短縮され、誰かの力を借りなくてもなされます。

 霊界人は、自分の思いが、考えようとしたとたんに相手に伝達されるので、特別な言語の表現は必要ありません。

 霊界人は、自分の論理展開が大変正確で明確だと感じられるとき、その伝達事項の正否によって、それが相手の顔にすぐに現れます。したがって、相手の気分の表現を自らが悟るようになるので、自分の事情も早く表現することができます。

 霊界人は、最初から人間は神様の被造物であるということをみな知っているために、神様の心を傷つけることはありません(これが天国人と地獄人の差です)。

 霊界人は、自分の分野で熱心に働けば、その場で最高の権威者になるとか、ある賞金が下りるとかいうことに対する欲望がないために、いつも平穏な顔をしています(この点は、天国と地獄との間に差があります)。

 すなわち、霊界人は、衣食住の問題の解決のために悩まされることがないために、顔の表情がいつも穏和で謙虚です。

 結論的に、地上人と霊界人の違う点を要約すれば、地上人は限定された空間の中で、限定された時間の制約を受けて暮らしていきます。すなわち、衣食住の問題を解決するために、忙しく活動するので、生さるのが大変で、苦しいが、霊界人は、制約する物がないために、無限に自由です。衣食住の問題のために、神経を使うことがないので、無限に明るく謙虚です。これは自分の肉身生活の結果が、天国人として結実した際に当てはまることです。

(1) 霊界で見た相対性原理

 『原理講論』や「統一思想」で論じられている相対性原理とは、相対が互いに授け受けすることにより授受作用し、合性一体化するとき、それを通じて喜びを受けることが、すなわち神様の創造原理の根本です。それについて霊界で見たものと、地上で見たものの違う点を話そうと思います。

 地上では、主体と対象が授受作用を通じて合性一体化すれば、一つになるので喜びます。ところが霊界では、授受作用を通じて合性一体化するとき、一つになって喜びを感じることが、地上とは少し違います。例えば、相手に与えて、相手が受け入れるのに、時間的に与えて受けるのではなく、考えとともにすぐに合性一体化するから、外見から見るときは、授受作用するように見えないのです。このような相対性原理による合性一体化は、完成した個体が集まった天国で起きることです。

(2) 霊界で見た授受作用

 授受作用の根本理論とは、互いがよく授けよく受けて、相対と愛で一つになることを願うことです。それが天国をなす根本です。

 天国における授受作用とは、文字どおり完全に一つになり、互いを眺めてみるだけでも授受作用になります。しかし地獄やそれ以外の所では、それぞれの階層によって、授受作用の差が大きいのです。

 それゆえ天国は、創造原理の根本理論である相対性原理から見れば、神様の創造目的の根本をなしている所です。それに対して地獄は、神様の根本理論を全く理解できないところなのです。したがって地獄に行って相対性原理一つだけでも伝道するのは、とても重要な課題です。地獄解放の問題は授受作用をよくなしていけば、なされるのです。この点は、地上と同じ点が多いと思います。 

(3) 地上生活と霊界生活との密接な関係

 地上での自分の人生の姿が霊界においてどのように整理されるのでしょうか?

 地上で善と悪の生活の基準によって、霊界において自分が行くべさ永遠の位置が定められます。地上生活の人生において、どのように誰を中心として生きたかによって、永遠の世界における神側、サタン側、無神論者の位置が決定されます。

 地上では個人の功労、国家観、世界観によって基準の差がありますが、永遠の世界では、国家観、世界観より、もっと重要なことが、個人の人格形成です。地上のように、自分がより高い位置で働いたために、高い位置に行くという考えは間違っています。

 それゆえ、地上生活での最も充実した甲斐のある人生とは、神様を中心として暮らすことです。個人の欲を捨て、ために生きる人生を目標にして暮らせば、永遠の世界に来て、頭を上げることができるようになります。

(4) 質問と答え

 ①娘の質問

 質問:生前に一度もよく仕えられなかった親不孝に対し、どのようにすればいいですか?

 答え:自分の位置で誠実に暮らしてくれることを願う。

 質問:子供たちに、一言お願いします。

 答え:つまらない説明をしたくない。父母が歩んできた道が正しいと思えば従って来なさい。

 ②リポーターの息子の質問

 質問:ミスコリアの顔と、不細工な顔が霊界に行けば、どのようになりますか?

 答え:地上でのきれいな額は、もちろんここでもきれいです。しかし、不細工な顔も、神様の光の中で、心の表現が顔に現れるので、無限に美しいのです。地獄に行った美人の顔と、天国に行った不細工な顔では、比較になりません。顔は地上でのように、丸い人は丸く、長い人は長いというように変わりはないが、地上の暮らしによって、霊界に来れば顔つきが変わるので、心を磨いて天国に来ようとする者が知恵深い人です。

 質問:大胆であったり小心な人が、霊界に行けばどのようになりますか?

 答え:大胆、小心は、神様の前に別に重要ではありません。大胆、小心に関係なく地上で天国に来るために努力しなさい。

 ③リポーターの質問

 質問:原稿に記録して呼んでくださいますか、考えながら呼んでくださいますか?

 答え:みな説明するということは、複雑で大変です。私が考えたらすぐに記録になって現れます。考えが正に記録されると見ればいいです。

(一九九七年六月二十三日)

 

霊界の実相と地上生活・第二章 霊界で見た暮らしと地上生活 1


一、 李相軒院長の昇華式場において

 私が李相軒です。私が李相軒です。「誰か」と聞かないでください。気分が悪いです。私が地上にいるとき、よく来てくれることを願いました。しかし、互いに難しかったでしょう。奥様!私が地上で果たせなかったことを、奥様を通して繰り広げようと思います。資格がないと言わないでください。

 「統一思想」は、お父様が我々に下さった救いの思想ですが、人々が理性をもって判断しようとします。考えが足りません。私の人生が「統一思想」を理解させようと苦労し、考えて努力してきたものだったのに、十分に果たせずに来ました。地上で早くできなかったので、霊界でいちいち私が調べて、もっと体系的に奥様にお伝えするので、地上で知らせてください。

 奥様! 地上にいるとき、あまりにも骨を折らせたことを私は知っています。だから今、私が天上で、鄭虎雄(チョン・ホウン)牧師の家庭を中心として、心から協助します。待ってください。神様は私の地上生活四十日は、必要ないと言われますが、私なりに、地上と天上を熱心に通いながら、体系化して連絡いたします。私の妻も、言いたいことがたくさんあるようですが……。

 奥様! 当分の間、少し苦しくても許してください。私が四十日間整理して、また来ます。オーストラリアに行かれるといっても、私は行くことができます。また来ます。ありがとうございます。

 今日、昇華式で皆が私の生涯の人生に、あまりにも身に余るお言葉を下さり、本当にありがとうございます。

(一九九七年三月二十四日)
 
二、 家族たちと自宅での追悼礼拝

(1) 父から愛する子供たちへ

 おまえたちがみな集まった場で直接に話したいことはたくさんあるが、時間がないので文章で父と母の便りを伝えようと思う。

 愛する子供たちよ!

 おまえたちが見ることができない国、一言で要約すれば、

 「地上の暮らしは何でもなかったな。
 何でもなかったな。
 何でもないのに……

 神様-、神様-!」

  これが天国の知らせだ。あまりに膨大で、表現し得る方法、表現能力が、この父にはない。神様は、見えない。この国でも、神様は見えない。

 しかし、あの太陽の光より、もつと明るいこの燦爛たる光、恍惚の光は、人間の頭脳、知性、理性では、表現する方法がない。

 それ以外は、光彩の中で赤裸々な私の人生が、神様の前にそのまま現れるので……。
まるで赤ん坊がお母さんの乳首をくわえて、お母さんと共にしている安堵感、平安感、幸福感というか。この中では、鍛冶屋が鉄を溶かし出すような……。愛の溶鉱炉と言えば表現にあたるだろうか?…。

  おお! 神様。どうしてこの世界が、我々の前にあったのですか。受け止めきれない、ほのかな香り、どこからか流れ出るのか分からない、美しいメロディー……。

  子供たちよ! この父が夜を明かして記録しても、表現することができない。これからおまえたちは、どんな人生を生きるのか、一度聞いてみよう。地上でどれほど生きるか、地上での暮らしの焦点をどこに置いて暮らすか、各自に聞いてみたい。

  父として、親として、頼みたいことがある。父が残した統一思想を見て、文鮮明先生が書かれた「原理」の本を精読して決定しなさい。皆読んだ後、それよりもっと大きな経典や先生の教えがあるなら、その道に行きなさい。

 しかし、それよりもっと大きな思想がないと思うなら、渾身の力を尽くして、み旨のために働きなさい。それ以上の頼みはない。

 その日、昇華式に参席した多くの方たちが、父に対して身に余る表現をたくさんした。子供たちとして、謙遜に受けてくれることを願うところだ。

 これから、この膨大な霊界の様子、論理的に体系的に整理して、この奥様が伝えるだろう。私がここに来た以上、気がかりであった無形世界のことを教授社会に綿密に知らせる。おまえたちも、この奥様こ協助しなさい。これからあなたたちが知りたがっていた事実を、また知らせよう。どのように生きるかを研究しなさい。おまえたちが執着している世界は、何でもない瞬間の世界であることを肝に銘じなさい。

父より

(2) 母から愛する子供たちへ

 会いたい子供たち! お父さんの話を一〇〇パーセント耳に留めて聞くようにお願いします。母として子供たちに願いたい内容は、兄弟同士しょっちゅう往来し、むつまじく過ごし、いつも周囲を振り返ってほしいということです。

 真の御父母様を研究するようにお願いします。この貴い知らせを伝え聞くことができるから、おまえたちはどれほビ幸せでしょうか。母として限りなく感謝するばかりです。

母より

(3) 李相軒先生に下さった神様のみ言
 ①李相軒、神の懐に来たことを祝う。
 ②「天国人」と言われる。
 ③李相軒は霊界人なのか地上人なのか、区別もなく歩き回っている。研究しようと無我夢中だ。

(一九九七年三月二十八日)

三、 霊界の姿と生活

 奥様、私は李相軒です。私を李相軒でないのではないか疑う瞬間に、とても自尊心が傷つきます。神様が認められるなら、信じて聞いてくださるとありがたいです。

(1) 霊界の姿

 霊界は目に見える現象世界とそっくりのようですが、霊界のその膨大な規模は、地上とは比較になりません。例えば、現象世界の自動車の姿は、限定されているが、霊界の自動車は、一台がいろいろな姿に変わります。前に行ってから後ろに行き、後ろに行ってから再び回ったりもします。回ったと思うと……。

 車が瞬間的に山を貫いたりもし、車を運転する運転手の思いどおりに車が動さます。まるで子供たちが見る空想映画や、神秘の宇宙世界の姿のような動さです。

「交通事故が起きないでしょうか」とリポーターが聞くと、「無秩序なようだが、徹底して法度を守る世界であるために交通事故はない」と語られました。

(2) 霊界の生活

 地上で暮らす人たちが、朝に起きて夜に寝るように、霊界生活においても、起きたり寝たりします。しかし、朝に起きて、夜に寝るというのではなく、朝も夜も考えによって変わるようになります。

 霊界を、地獄、天国、楽園という名を誰がつけたのか分かりませんが、本当に地獄、天国、楽園の生活の差はとてつもないものです。例えば、地獄にはこの世では見物することができない光景があります。

 女が下半身も隠さないまま裸体で立っていると一人の男がその女の下半身に触ります。すると別の女が、その男の下半身を触って、自分のものだと言いながらけんかするのです(雑多な者の集まり)。それでも恥ずかしい様子がなく、悠然と悪に染まつている姿です。

 下駄を履いた日本の女が走っていて転ぶと、他の女がその下駄を自分のものにしようとして隠します。下駄をなくした女が探していると、下駄を隠した女は、「知らない」と叫びます。すると周囲の人たちは「あの女が泥棒だ」と指さしながら、皆が走り寄って、ぶんなぐるのが常です。

 指をけがした老人が、手が不自由で食べ物をつかめないでいると、周囲の若者が、器ごと奪っていって、自分の口に放り込むような生活が行われる所です。

 髪を剃られた若い女が、髪の毛がないのを恥じて手拭いで頭を隠していると、人が通り過ぎるたびに、その手拭いをはぎ取って、手を拭いたり顔を拭いたりします。

 女が手拭いを奪われてから、取り返してまたかぶると、今度ははさみで切って半分は持っていき、半分だけ頭に投げ掛けてやるのです。そうすると、その女は、耽ずかしい姿を隠すことができず、絶えず暗い所を探していくのです。

(一九九七年五月二十三日)

四、 霊界で見た天国と地獄

(1) 天国は思いと行動が一つになる所

 天国という名詞がどこから出てきたのか、私は知らないが、すべてが天国とかエデンとかいう文字を書いている。天国(エデン)とは、思いと行動が正に一つになる所です。      
 例えば「今日、何かを食べたい」と考えれば、考えると同時に、自分の前に豪華な御馳走が準備されているのです。また「きょうは誰かと一緒に、どこかに行かなければならない」と考えれば、既にそこに行っているのです。「服を着ないで、人が裸になって歩けばどうか」と思うと、本当に素っ裸になった自分になってしまい、ひとしきり笑いました。

「目の見えない人と、日の見える人が、共に天国に来たら、見えない人と見える人との差はどうか」と考えたら、おじいさんと子供が私の前に立っていました。子供は盲人で、おじいさんは目のよく見える人だったが「天国にも盲人がいますか?」と聞くと、子供が「地上にいるときは盲人だったのですが、天国には盲人という表現もないばかりでなく、見えないものがありません。すべて見ることができます」と答えました。「おじいさんは見えるはずなのに、なぜここに来られたか」と言うと、「目で見ることができるものと、心で見ることができるものがある。」と答えながら、「目は見える物体だけ見るが、心で見るものは、その人に今現れないとしても、それはもっと明かるく見える」という難しい答えをしました。

 天国には、宝石よりもっと明かるい光がいつも周囲にあります。その明かるい光のために、お互い困難を覆うことができず、互いが読みとるようになるから、目と心によってすべてが分かるようになる所です。天国は光で表現するなら、輝く金髪、光り輝く恍惚の金の光とでも言えるかもしれません。いつも心が平和である所です。言葉では表現できなくて、説明することの難しい所が、まさに天国です。

(2) 地獄は天国から想像することができない所

 地獄は、お腹が空いて、つらさ、ねたみ、嫉妬、不便なものがあまりにも多い所です。いつもつらいから、けんかしかすることがないのです。すべて不便です。

 例えば、天国は安心して歩く自由があるが、地獄は自分の思いどおりになるものが一つもない所です。思いどおりにならないから、人のものを奪って来て、盗み食いします。

 地獄とは、人間の世の中で考えるより、ずっと想像しにくい所です。

(3) 相軒よ! それが愛である

 地上でお父様が愛の話を出されると、いつも「凸と凹」に関するみ言を語られたので、愛といえば「凸と凹」を考えるようになりましたが、愛というこの言葉が、いかにとてつもないものかということを知りました。

 神様の愛というものは、膨大に広がっています。経験したことを書いてみると、次のようです。

「相軒よ」と呼ばれるその声に、すべてが溶け出すような愛の感性を感じるのです。それは、どんな凶悪犯も、許すしかない感性をもたせるものです。愛の体臭や香りが、すべてを忘れさせる平安感、暖かさ、安堵感の音声を感じます。一言で「愛」という単語自体がふさわしくないのです。もう少し良い、もっと柔らかい言葉がないかという感じをもつようになります。

 歩むとき、言葉を話すとき、服を着るとき、「愛」という言葉自体に納得できず、考えて、また考えて、「愛」より愛をもっと濃く美しく表現する文句がないかと考えると、神様がおっしやるには、「相軒よ! それが愛だよ」と言われました。

「愛」という言葉一つだけ完璧に意味が分かるなら、地上には争いも苦難もなくなるはずです。「愛」という言葉は、それを完璧に解釈する者がいません。それが「愛」です。

(4) 天国と地獄の槻念

 天国とは、愛で一つになったまま、調和しながら暮らしていくから、あらゆる心配や気がかりがありえない所です。

 地獄とは、愛を忘れたまま、それが何か、わからない世界で暮らしていくから、争いながら、心配、気がかり、不平、不満に囲まれて、ぐるぐる回っています。

 要約すれば、天国は愛の至聖所であり、地獄は愛に背を向けた所です。易しく言えば、天国は愛しかなく、地獄は愛という言葉が芽も出さない所です。それゆえ、地獄の解放は、愛の芽を出して、愛の実を結んでこそ可能なのです。(きょうは興奮なさらずに統一思想研究院でお目にかかるときのように、落ち着いて静かに語られた。)

(一九九七年六月一日)

霊界の実相と地上生活・第一章 真のご父母様に捧げる文


一、 真の御父母様

   「父母様、小生の手紙をお受けになり、慰められますように」と祈られて、語り始められた。

 父母様、これまで玉体御健勝であられましたでしょうか。小生、相軒が涙で親不孝のお許しを願います。御苦労なさる父母様の前で、先にここに来るようになり、申し訳なさを禁じえないのでございます。

 これまで三百六十万双国際合同祝福式を完遂なさるために、連続する御苦労、この子はよく存じております。ここ天上でも、階層ごとに食口の幹部たちが回りながら、皆が大変努力しております。地で苦労しておられるので、ここ天上は私たちが整理して伝道しょうと努力しますが、根本は父母様が来られてこそ、まとめられるようでございます。御苦労なことを再び負わせてしまうようで、申し訳なく思うのでございます。

 天上の祝福式は、お父様がなさるべきことですが、多くの人たちが待機しており、期待しております。私どもは、地獄の門が開かれて、解放の喊声がわき起こるであろうと講義して回っています。私どもが最善を尽くして活動したと言いますが、お父様の前には何でもなく、ただお父様の御苦労を少しながら軽くしてさしあげるためでございます。

 お父様!小生が地上にいるとき、地上人たちが霊界の事実について質問すれば、口がふさがりました。学術セミナーのたびに、霊界について質問する人たちがいましたが、明快に答えられなかったのです。また、私自ら解くことができなかった謎のような問題が、霊界の事実でした。そしてついに地上で霊界論を整理できず、ここに来るようになったのです。

 それで、小生がこの国に来て、霊界の事実を詳しく整理して、地上に送ろうとするのは、第一に、地上に生きているすべての知性人たちの気がかりを解いてあげたいからであり、第二に、食口たちの地上の暮らしを助けたいからであり、第三に、父母様の困難を少しながら助けてさしあげたかったからでございます。先に来た罪責感のためでもあるのでございます。

 お父様!これまで、この小生が無我夢中で霊界を回りました。あちらこちらをくまなく探し、把握しょうと努力いたしました。今、私の努力を尽くして把握した内容を、地上にお送りしますので、誤った部分があれば、しかってくださいませ。

 これは、霊界の事実を明らかにすることで、食口たちに助けになることを願う心のためでございます。

 また、父母様が天上に来られれば、霊界を整理なさるのに、あまりに御苦労なことと存じ、地上人たちが罪を犯さずに来ることを願う心のためでございます。

 そして、神様がおかわいそうだからでございます。

 お父様!この幸福な所にお送りくださり、心から感謝申し上げます。親不孝な子に下賜された、「福人」という称号、実におそれ多いことでございます。許してくださった、私の地上の人生を、今整理しましたので、永遠の国であるここ天上で、熱心に地獄解放のために奮闘努力いたします。

 お父様、お母様!私たち夫婦、父母様の恩寵で良い所で楽に過ごすことをお許し願い、敬礼をお捧げいたします。長生きしてくださいませ。

 一九九七年八月二十一日
相軒拝

二、 愛する食口たちへ

 愛する食口たちに捧げます。

 愛する食口の皆様。どんな言葉をまず書くべさか……。誰も避けることのできないここ、誰もが行くしかない天道のこの道……。天上に来てみると、食口の皆様があまりにも思い出されます。どのようにすれば、天法に引っ掛からずに無事に通過して、皆神様の所に真っ直ぐに来ることができるか、と腐心しています。

 霊界の法に一度引っかかれば、容易に解くことができず、この永遠の国に来て、また苦労するようになります。食口の皆様、これまでどれほど御苦労が多かったでしょうか? 永遠の世界であるここ天上に来られたのちには、苦労から脱すべきでしょう。永遠の暮らしのために、瞬間の苦労を避けないでほしいとお願いしたいのです。良く生きなければなりません。誤って生きれば後孫が代わりに蕩減しなければならず、父母様が霊界を整理なさるとき、また胸の痛い事情をつくるようになります。

 愛する食口の皆様!

 私は李相軒です。「統一思想」を確立した李相軒です。私なりに熱心に霊界を観察したことを要約して、食口たちにお知らせいたします。よく読まれて、地上の暮らしをよく生きられるよう願います。そうして、神様の痛い傷をいやしてさしあげ、父母様が長生きされることを祈ってさしあげましょう。

 一句一句を皆がよく読まれるよう願います。その日その日の暮らしをチェックして生きていかなければなりません。これは先に来た食口として、助けをするためです。食口の皆様、すべての安寧を祈ります。

 

 一九九七年八月二十一日

             相軒拝


 

霊界の実相と地上生活(李相軒先生の生活・思想・信仰 )

http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Lynx/9732/Lee/
李相軒(イサンホン)先生は一九一四年九月五日、儒教の家庭に生まれ、一九五六年に統一教会に人教された後、三十六家庭の祝福を受け、真の御父母様の思想である「統一思想」と「勝共理論」を体系化されました。
先生は鮮文大学の碩座教授として在職しながら、第九回統一思想シンポジウムの開催中、享年八十二歳で昇華されました。
この本は、昇華された後、李相軒先生が見た霊界の実相について、地上の金英順(キムヨンスン)女史を通して伝達されたメッセージです。真の御父母様はアメリカの訓読の集いでこの本の初版を何回にもわたって訓読なさり、世界のすべての食口たちをして、霊界の実相をはっきり知り、み旨に対する責任を果たすように勧められました。以下は李相軒先生について知りたい読者のために、先生の生活と思想、そして信仰を簡単に紹介するものです。
 李相軒先生は咸鏡南道定平郡新上面禾洞里で儒学者である李秀永(イスヨン)氏の次男として生まれました。先生は韓国東洋哲学系の元老であり、高麗大学のアジア問題研究所を創設した李相殷(イサンウン)博士の実弟でもあります。父の李秀永氏は三・一万歳事件で収監された愛国の志士で、幼い時から先生に民族主義的な教育をなしました。
先生は高等普通学校の時、民族愛に燃えて、共産主義者の指導する民族主義運動に加担し、それによって日本の警察によるひどい拷問と牢獄の苦しみを経験されました。
普成(ボソン)高等普通学校を卒業し、セプランス医科大学に入学した先生は、次第に共産主義の唯物論に疑いを抱くようになり、真なる民族愛と人類愛とは何であるかについて心を傾けるようになりました。そのような思想的遍歴を経て、宗教に関心を向けるようになり、ついに統一教会に人教されるようになりました。その時、先生の年は四十二歳でした。先生は人教した時の心境について「原理は本当に素晴らしかったです。
原理をすべて聞き、三日ほどたった時、すでに私の大部分の難問題は解決されました。ちょっとやそっとのうれしさではありませんでした。とてもうれしくて、踊りだしたくなるほどでした」と証しされています。
 セブランス医科大学を卒業した後、人教する時まで、先生はセプランス医大病院、元山救世病院、永同救世軍病院、忠北道立永同医院、大韓警察病院等を経て、永同中央病院、李成内科病院を開業するなど、医師としての一すじの道を歩まれました。しかし文鮮明先生に出会い、その教えを受けた後、先生は、それまでとは全く違う人生の行路を開拓するようになりました。
 先生は文鮮明先生のみ言の中で、次元の高いすぐれた思想を発見するたびに感嘆し、思想的な内容について文先生に個人的に質問しながら、多くの教えを受けられました。そして先生は、文先生が一九五八年ごろ「将来、統一思想の時代が来る」と語られたみ言や、一九六二年の文先生のご聖誕日の前夜に「今から我々は共産主義理論に打ち勝つことのできる実力を養わなければならない」と語られたことを心の中に刻んで、文先生の思想を体系化しなければならないと決心されました。先生はその時の心境を次のように述懐されました。
 私の目に映る文鮮明先生の姿は、この世の人間の姿ではありませんでした。この方は驚くべき知恵の宝庫であり、限りない憐れみの愛をもっておられる聖人であり、受肉された神であり、人類を救うためにこられたメシヤだったのです。
その教えの一言一言は、実に玉のように貴重でした。この貴い玉をそのままにしておけば、ばらばらになってしまいそうでした。玉はつないでこそ宝であるという言葉にあるように、私は先生の思想を体系化しょうと決心しました。
 そのようにして生まれたのが「統一思想」と「勝共理論」です。先生は国内外の教授および各界の指導者に対して四十三回の統一思想セミナー、七回にわたる勝共理論セミナー、そして五百回余りの学術講演会を主宰されました。また「科学の統一のための国際会議」(ICUS)の統一思想分科会の名誉議長として、既存の学問を統一思想の基盤の上に定着させるために尽くされました。
 生前に、先生は統一思想の中に霊界論が執筆されなければならないと考えながら、それができなかつたことを残念に思っておられました。この本は、そのような先生の希望と真の御父母様に対する忠誠心が結実したものだといわざるをえません。 
(編集者注)

2013年6月10日月曜日

御旨と世界 一心不乱 一生懸命 一九七三年七月八日 東京 東京教会 文鮮明先生のみ言より



御旨と世界
一心不乱 一生懸命

一九七三年七月八日 東京 東京教会


 日本は、この二年間に、運命の審判を下さなければならない。 我々はもう既に刀を抜いている。これをさやに収めることはできないのである。切るか切られるか、いずれかの道を行かなければならない重大時点に立っている。 日露戦争の時、乃木大将は二〇三高地において、自分の子供を失いながらも、数多くの日本の青年たちに攻撃命令を下した。トンネルを掘り、爆薬を仕掛け、これを爆発させて、勝利の起点を得たと同じように、我々もその道しかないのである。後退するわけにはいかない。死を覚悟して前進しなければならない。今、少なくとも五万人が必要である。七四年まで五万人をもたなければ、統一戦線も後退せざるを得ない。それで、十一月(昨年)に日本を発つ時、皆さんに話したように、我々は七三、七四年を目指して総進軍しなければならない。この七三年も、もう六カ月が過ぎてしまった。きょうは七月八日である。七二年から世界路程を開始して以来、三年期間において準備をしなければならない重大時点は、もう半分が過ぎてしまった。 この時点において、アメリカを中心としてぶつからなければならない。共産党をして、世界的にぶつかるようになっている。韓国から見ても、日本から見ても、中国から見ても、世界中どこから見てもぶつかるようになっている。そういうような運勢圏にならなければ、これは摂理を中心として勝者と敗者を決定することができない。それを決定しなければ、神の勝利の基準は満たされないから、神はそういう摂理の時点を外的、内的に我々に迎えさせてくれたのである。 この期間のためにアベルは血を流したし、この期間のためにノアは一二〇年の箱舟の勝利を果たしたし、この期間を求めるために、ヤコブの二十一年が必要であり、この期間を立てるために、イスラエル民族のエジプトにおける四三〇年の苦労の道があった。この期間を残すために、クリスチャンのローマ迫害時代四〇〇年があり、数多くの先祖たちが血を流し、蕩減の道を受け継いでここまでたどりついたのである。この三年間はそういうような、歴史的重大な時点に立っているのである。


 日本が危ない。

 世界的に恐ろしい軍隊があるとしたら、恐ろしいほど訓練された軍隊である。素晴らしい軍隊があるとしたら、素晴らしいほど訓練された軍隊である。それ以外にはない。例外はない。実践には例外がない。奇跡ということは例外の例外であって、それは、一時あった場合には千年の穴があく。我々はそれを知っている。 訓練が必要である。でたらめな訓練ではない。計画的であり、科学的であり、理論的であり、実践的な計画の訓練が必要である。 先生が好きなのは、「一心不乱、一生懸命」である。一生懸命、一心不乱に目的に向かって進んだ場合にはどうなるであろう。だから、実践の現場を迎え合った全世界の宗教のうちで、何が宗教界を代表したダビデの任務を果たし得るや。こう考えてみた場合に、いくら考えてみても統一食口以外にないということを、先生はようやく結論するに至りました。もしも神様がいたとするならば、それは先生が考えたそれを、認めざるを得ないでありましょう。 先生においては、残してきた子供たちから手紙が来る。思いがあったら、わざと切ってしまう。それで今回帰って来る飛行機の中で、初めて済まない心情を精算してきた。七カ月と二十日近いこの期間済まなかった。しかし、仕方ない。子供たちに対していろいろな手紙を、お母様が涙しながら出す時、先生は、「その涙は神に対してで、子供のために流してはいけない」と何回も言っている。会いたいことはお母様も先生も同じ思いである。だからできるだけ写真も見なかった。真を尽くさなければならない。 先生が言ったことを君たちがやってくれると思ったのに、半年たって、この間の報告を聞いてがっかりした。これではいけない。作戦を変えなければならないし、方向を転換しなければならない緊急事態に入った。再び決意を固めなければならない。目的に向かって突進するような道を満たさなければ日本は危ないのである。先生が言ったとおりの日本の情勢になった。アジア情勢になった。時間がたつごとに、遅くなってしまう。だから準備をなさない者には勝利は得られないじゃないか。準備をなすために、七二年から七三、七四年までに五万人以上の基準を必ず突破しなければならない。 先生は皆さんに負けない。今も闘っている。先生は今、四十年の闘いの路程を歩んでいる。先生は三十代まで準備時代、四十代まで実践時代、六十までに完成したいと、ちゃんと原理的に組んでいる。一九七七年から一九七八年まで、アメリカに影響する最高の絶頂期と決めている。一人でも行く。君たちが休んでも行く。援助しなくても行く。 今まで一月に一人伝道してきた者、手を挙げて。――一人もいない。失敗だよ。摂理は人が滅びても、国が滅びても、摂理は残さなければならない。残すために今まで神は働きかけている。一点の家庭基準を、氏族基準を我々は抱えて、先生がそれを保って働きかけている。真剣な問題である。だから一時間が惜しい。この一時間を努力しなかったならば、数千年が飛んでしまう悲惨な運命が生まれてくる。この一時間、この一瞬が危機に瀕している。 涙ながらに神の摂理に近寄って、神の悲惨なその姿を思ってみた場合に、我々に対して信頼できない神の立場はどんなものであろうか。統一教会が信頼できなかったなら、神は救いを受けることができない。もうおしまいである。それを君たちがいいかげんに考えて、こうでもいいし、ああでもいいと適当なやり方でこれを妨げることがあったとしたら先生は相手にしない。黙っていればいかにたやすいことだろう。しかし、そうはいかない。果たすべき使命を残している以上は、それを果たすために、嫌と言っても、転んでしまっても、落ちてしまっても仕方がない。正義に立って、正当なことを教えて、命令するのが善の指導者であって、天的指導者としての使命だから仕方がない。


 先生は二時間しか休まない

 先生はアメリカで平均二時間しか眠らなかった。十二時にみんなを寝かして、それから三時半、四時半まで勉強した。時間がないから寝ない。疲れる暇がない。七年間は寝なかった。みんなは何時間寝るのだ? 六時間寝るのだったら、そのうちの二時間は先生のために費やせ。神のために費やせ。神はそういうところに近づいてくる。余った余分な力でやっても何の効果もありません。誰でもそれはやる。何の条件にもならない。だからこれからは、実力と実行力をもたない指導者は消えていくよ。邪魔になる。 原理には三大裁きがある。真理、人格、心情において裁く。堕落は三大要件を犯したんだから。先生は成して、あんたたちに教えているんだよ。復帰の道は成して教えるべきであって、成さないで教えるべきであったら、聖書は六〇〇〇年前にもう既にやってきているよ。なぜか? 原則がある。父母の信仰が立たないから、父母が先に知らなかったから、知るのも父母が先に知らなければならない。父母が先に実行できなかったから、実行するのも父母が先に実行してからこそ、知るようになるのが原則である。だから、原理は先生から、もう成した基準に立っていないと教えられない。 だから、あなたたちは、原理をパスしなければならない。原理をパスして、原理基準に引っかからないような自分となって、それから実体者となって、原理に適用される。しかし、蕩減原則に適用されるそういう者があった場合には、実体復帰はなされません。そういう条件が残った場合には、サタンがいつも私のものだと引っ張っていく。だから実体基準を勝利するには、サタンを正面的に抱えてやれ。


 八十四の基台

 今、我々は、十カ国を中心として、七七七双の世界的な氏族圏をもっている。どこかに迫害があった場合には、これはみな手を取り合って援助する。イエス様の親族より素晴らしい。我々はイエス様が失った親族、氏族を復帰した基準に立っている。その次には、それを民族と結びつけなければならない。イスラエル民族のモーセを中心として見た場合には、民族と十二支派と七十二門徒がある。聖書には、七十二とか七十になっているが、七十二でなければならない。なぜかといえば、十二の六倍である。七十ならば欠けている。 七十二家庭を勝利しなければならない。イエス様が天国をつくれなかったのは、十二弟子が一つになれず、七十二門徒が一つになれなかったからである。だからイエス様は七十二人に追われ、十二弟子に追われ、最後には三人の弟子に追われて一人ぼっちで十字架につけられてしまった。父母に追われ、家族に追われ、イスラエル民族と国から追われ、闘ってきた三年間の道は信頼されず、天国はめちゃくちゃになってしまった。それを我々は再編成して、イエス様の実体基準を蕩減復帰してやらなければ、天国は絶対にやってきません。これは原理の骨子である。 蘇生期は家族であり、氏族である。長成は、十二弟子と七十二門徒がなければ、イスラエルの六十万を動員することはできない。問題は十二弟子と七十二門徒である。 統一教会においては、我々は父母をもっている。兄弟をもっている。血肉を共に受け継いで生まれたより以上の我々の兄弟をもたなければならない。だから我々は、国を超えて超国家的心情基準を備えている資格ありや? 天国は超国家である。それを果たせない者は天国に入れない。天国をつくり得る者にはなれない。先生はその道を過ぎた。あなたたちは今から十二弟子を組め! 七十二弟子を組まなければ天国はつくれない。それがあなたたちに残されたものである。 昨年から先生が命令したのは、一月に一人ずつ伝道しなければならない。至上命令だ! やれ! 先生は何の準備なしにあなたたちに言ったのではない。鉄則の基準をあなたたちに教えた。イエス様は三年ないし、三年半に、霊肉ともの基準を一致させようとした。それが失敗した。我々がイエス様と同じ蕩減復帰をするには、霊的三年間以上、肉的三年間以上を費やさなければ、霊肉ともの勝利の基台を結びつけることができない。それで七年間という年月が必要になってきた。七年間は全部がみ旨のためにこの天国をつくらなければならない。七年間に何するか? イエス様が失った十二弟子と七十二弟子を、これを家庭を中心として、蘇生、長成、完成しなければ天国をつくれない。 七十二と十二は八十四だから、七年間に十二掛けると八十四だ。十二弟子と七十二弟子を我々各自が組み合わさなければ、天国は、イエス様が世界的になし得た天国の橋を造ることができないんだから、我々生涯をかけてこの橋を結びつけなければ天国につながらないという各人の使命がある。一月に一人伝道して、七年かかって初めて八十四人になる。だから最小限度、一月に一人伝道するという結論は、世界的な基準の核心になっている。あなたたちもこういう信念を世界的に武装した場合には、その目的のために全国一致してはっきりさせた場合には、いかばかりサタン史が崩れていくか。 各自が、一人が一人ずつ一月に伝道するところに、その実績の基台に、天国は社会的に開かれる。これは間違いない原理の原則である。七年間は行かなければならない。一月に一人ずつ伝道すれば七年費やしてこそ、初めて八十四人の条件的な基準がつくられるから、それを至上命令として下したのである。今、初めて詳細に話した。 死してもこの基準を解決しなければ行く道がないというのが、鉄則となっている。だから先生も、生涯をかけてこの問題に引っかかったよ。イエス様もこの問題に引っかかったよ。神様も六〇〇〇年間、救いのために苦労したのも、この問題のためである。これを解決しない以上は、神様の心情的恨みを解く道はありません。 この三年間というのは、世界的基準において、霊的ではありながらも、イエス様が三年間に世界的心情基準をなし得なかったその基準を、世界的に再び編成しなければならない。だから各国の青年たちを組ませて、こういう時代において、イエス様が死ぬ時、みな逃げていったのではなくして、死ぬ時に共に死ぬような覚悟をもつ、そのような青年に武装させるための訓練所が、ベルベディアの訓練所である。それを整え、ある軌道に乗るようになるまで、七カ月かかった。満六カ月費やして、そういうことを成して、今帰る時である。 あなたたちは、天国づくりがどういうようになっているか、はっきり分かりましたね。話では通じない。実績が問題である。霊界に行っても、先生に対して、「天国に行く正しい道を教えなかった」と讒訴できないだろう。今、教えた。 きょう、一九七三年七月八日は、七数から見て、再出発を数えるそういう日である。アジアの一角、日本において、最初に詳細に説明した。 あなたたちにすべてがかかっている。今からやらなければならない。今から先生は命令する。十日に一度ずつ自分の親、兄弟に手紙を出せ! 君たちが社会に向けて活動する三分の一の努力があったら、氏族復帰は可能である。天国づくりは氏族基台を中心として、それから社会につながる十二弟子と七十二門徒である。それがなければ、社会を率いることはできない。世界的になりたければ一二〇人を立てよ。先生はそれをやってきた。 日本の問題として、今残っているのは、数的問題である。もしも日本が、ある期間までやらなかった場合には、先生は日本の使命をほかに回す。世界を救うには仕方がない。そうせざるを得ない。あなたたち、考えてみなさい。一年に死亡率が百分の一だと考えて、百人に一人死ぬと考えてみた場合には、三十六億のうち、三六〇〇万は一日に死んでいく。そうした場合に三六〇〇万人は地獄に行く。神から見た場合に大損害である。サタンから見た場合、大勝利である。一年早ければ、三六〇〇万が救われる。十年早ければ三億六〇〇〇万人である。 こう考えた場合に、世界にまで早くこれを宣べ伝えるのに、いかに忙しいかということが自然と分かるであろう。もう時間がない。神がいかばかりそれを願っているだろう。


2013年5月23日木曜日

祖国光復と入籍 第二章 神様の祖国と祖国光復 より、文鮮明先生のみ言


祖国光復と入籍

第二章 神様の祖国と祖国光復
一、入籍しようとするならば、まず主権国家があってこそ

入籍する国があってこそ

 天国に皆さんは登録されていません。国がないために、出生届けができないのです。結婚式ができないし、死亡届けができないのです。ですから、押されれば倒れるしかなく、死んでも訴えることのできない惨めな道を、宗教人たちが歩んできたのです。文総裁がその代表的な道を歩んできたことを知らなければなりません。泣き叫んでも、解決できないのです。悔しくても、うらめしくても、耐えなければなりません。(二八三-二二二、九七年四月十二日)

 国があってこそ、入籍が行われるのです。出生届け、結婚届け、死亡届けをするのです。私たち統一教会の数多くの家庭が祝福を受けましたが、今のところ、すべての手続きができていません。国がないために、手続きができないのです。登録をみな新しくしなければならないことを知らなければなりません。ですから、大移動が行われるのです。北極人が南極に、南極から北極へ行くのです。今後は手続きをする手順にしたがって、国と支派が変わるのです。大移動が行われるのです。(二七八―三二七、九六年六月二十三日)

 今後、国が成立すれば、各家庭が入って憲法と法を中心として全世界を蕩減し、整理してから天国の民として入籍する時代に入るのです。入籍しなければならないのです、入籍。今は国がありません。(二九七-八一、九八年十一月十五日)

 この世界はだれの名の下に存在したいのでしょうか? 神様の下にありたいし、真の御父母様の名の下にありたいのです。はじめに万物は、アダムとエバの時から真の神様を中心として神様と一体となり、完成した夫婦・父母の名の下に存在したかったのです。それが創造本然の位置なのです。

 それで、私たちの統一思想では真の父母を中心として、世界は一つにならければならないというのです。そのような結論が出てくるのです。だとしたら、現在の皆さんには籍がありません。入籍していないのです。したがって、皆さんは神様を中心として新しく入籍しなければなりません。入籍するためには、国がなければなりません。皆さんは国がない者たちです。生きてはいますが、サタン世界に対して権威をもって、自らの位置を堂々と言える基盤がない者たちなのです。皆さんは、そのようなことを明確に知らなければなりません。天民として入籍しなければならないのです。その主権は大きくても良いし、小さくても良いのです。国連から見れば、アメリカも小さな国も投票の権限は同じなのです。(三五-一七一、七〇年十月十三日)

 皆さんは今後、天国に登録する、という新しい出来事が始まるでしょう。戸籍に入らなければなりません。戸籍に入るためには、国がなければなりません。国がなければ、入籍をすることができません。国がどれほど重要かを知らなければなりません。国があってこそ、その国によって神様が思う存分になさることができるし、私たちも、初めて迫害圏のサタン世界を越えることができる基盤がつくられるのです。したがって、ご飯を食べても、何をしていても、いつも国のことを考えなければなりません。(五四-二二八、七二年三月二十四日)

 統一教会の主義は天宙主義であるがゆえに、家庭を中心として相続させ、家庭を中心として入籍させなければなりません。そのような時代が来るのです。私たちには、まだ入籍する国がないために、入籍できないのです。そのようにできる国がないのです。大韓民国は私たちが入籍する国ではありません。こういう運命である私たちはジプシーの群れであり、浮浪する群れであり、流浪の群れと同様の身分なのです。三五-二八二、七〇年十月二十五日)

 もし、皆さんが国家を復帰できずに死んだとすれば、この地上に再臨し、個人を協助し、家庭に協助することができるだけであり、堂々と権勢をふるうような協助はすることができません。サタン世界を征服するための闘いをなしうる資格者になれないのです。したがって、国ができてこそ、皆さんは入籍できます。皆さんは入籍しましたか? 皆さんは統一教会には入籍しましたが、統一された神様の国には入籍できていません。国がないのに民になることができますか? できないのです。(五四-二七七、七二年三月二十六日)

 私たちは、国に登録しなければなりません。新しく入籍しなければならないのです。そう言っても、日本の国を叩きつぶして、なくしてしまえ、というのではありません。日本を引っ張って、神の国に登録したとき、日本が世界で最初に登録した場合には、日本が指導国家になるのです。そのような国になることを望んでいるのです。そのような国を作ってみたいですか? このように考えて自分から始めましょう。結局はメシヤが、私ひとりを国よりも先に愛し、民族よりも先に愛し、氏族よりも先に愛してきたのは、結局は私ひとりを救うため、国家的価値までたどって、その相対的な足場を作るために、今まで努力してきたのです。それが、永遠に残る基台です。国家を復帰してこそ、自分たちを解放するようになります。それを、はっきりと知らなければなりません。(五五-九七、七二年四月二十三日)

 皆さんは今後、入籍の時期があるのです。祝福を受けに行くということは、入籍することではありません。これは象徴的な入籍でしかないのです。それゆえに、私たちは入籍できる国を求めていくのです。その国は、どんな国でしょうか? 主権は父母の代身、民は息子の代身、国土は物質の代身となり、三位一体を成す国なのです。国家を形成するためには、主権がなければならないし、民がなければならないし、国土がなければなりません。宗教も同じです。(三五-二八二、七〇年十月二十五日)

 国がなければ、国籍がないのです。国がなければ入籍できる基台がないのです。私たちは民族を編成して、新しい入籍をしなければなりません。この地上に天国を編成し、その国籍をもって、愛国愛族の、真なる善の父母の血統を受け継いだ勝利的な息子・娘として、自らの氏族や家族を率いて生きてこそ、天上世界の天国に入っていくことができるのです。それが原理です。(五八-一四三、七二年五月二十二日)

 皆さん、赤ん坊を出産すると、籍を入れますね? 同じように、主権国家がなくては、入籍ができないのです。また、民族だけがあるときには、お互いに争いが絶えません。しかし、主権者が決定すれば争いは終わるのです。

 その民族圏内から主権者が出てくるまでは、相対圏から抜け出すことができませんが、主権者が立ったあとには、相対圏から抜け出して、絶対的な立場に立つことができるのです。そのようになるまでは、皆さんも入籍できないのです。この世に生まれることは生まれても、生まれない人と同様の立場なのです。名前はあっても、その名前は公認されないのです。生まれることは生まれましたが、その生命の価値は公認されないのです。

 エデンの園では、アダムとエバが二人いただけで、その背後にはだれもいなかったため、彼らが父母になれば、世界的、天宙的なものとなったはずです。しかし、今日の統一教会においては、まだ世界的、天宙的なものとなっていません。数多くの主権国家があるために、そのようにできないのです。それゆえ、このような内容を世界的に蕩減し、大韓民国において、一つの故郷の地を中心とした父母、氏族長、民族長、国の主権者を決定して、世界全体が仰ぐことのできる絶対的な一つの基準を立てておかなければならないのです。そうしてこそ、ここから新しい国、新しい宗教、新しい民族が編成されるのです。これが、今日、私たちに与えられた使命であり、統一教会が行かなければならない復帰の限界点であるということを、はっきりと知らなければなりません。(三七-一五二、七〇年十二月二十三日)


統一教会員の入籍

 今後、一九七二年度までの三年間の予定ですが、この三年路程を過ぎれば、国家を中心とした私たちの基台は、大韓民国に必ず顕現するようになるはずです。国家がそこに順応し、国家が相対的基準に立つことができる基盤が築かれるようになれば、このような活動の基台を持った人は、天を中心とした新時代において、国のために生きた家庭として、国の保護を受けることができる家庭として、入籍することでしょう。国がなくては入籍することができません。主権がなくては入籍することができないというのです。そういう使命を完結させるために、皆さんは一線に行かなければならないのです。(三六-一四六、七〇年十一月二十五日)

 先生は世界的に蕩減して、大韓民国において、一つの故郷の地を中心とした国の主権者を決定し、世界が仰ぐことのできる一つの絶対的な基準を立てるために闘っています。しかし、銃や刀を持って戦うのではありません。善の実績を積んで、功績の価値を保有することによって、民族から公認され、自動的に上がっていかなければならないのです。

 では皆さんが、このようなみ旨を受け継いで、何をしなければならないかというと、国がないために、国を編成しなければなりません。今、皆さんに伝道しなさい、と言うのは、国を編成するにあたって族長になれというのです。族長になって、世の中の人々の出生届けを再びさせるのです。それは、銃を持って兵を招集することと同じです。登録をさせる責任者の役割をしなさいというのです。その登録が後に入籍となるのです。戸籍に入るのです。入籍を知っていますか? 皆さん、全員入籍しましたか? できていませんから、その族譜にしたがって入籍をしなければならないのです。

 私たち統一教会も、まだ入籍していないのです。入籍をしようとすれば、主権がなければなりません。主権国家が成立しなければならないのです。入籍ができない場合は立場がないのです。それゆえ、私たちは国家復帰をしなければなりません。

 私たちは南北に分かれている大韓民国を統一させなければなりません。統一するには、私たちの血と汗の代価を払わなければなりません。これが、私たちの絶対的な使命であるということを、はっきりと知らなければなりません。私たちが自ら統一教会の名称をなくしてしまえる時も、統一されたその時からです。したがって、統一教会のなすべき最上の復帰の限界点は、主権復帰なのです。

 南北に分かれている大韓民国を統一し、神様を中心として一つの主権者を立て、新しい法度を通じて、新しい社会秩序、新しい教育方式等の新しい制度を形成してこそ、そのとき初めて、私たちのみ旨として、世界的な母国のみ旨として、登場できるのです。皆さんが、そこに貢献するということは、歴史時代に一度しかない、後にも先にもないことなのです。皆さんが生きているうちに、このようなみ旨の環境圏において、貢献することのできる、またとないこの良き時期を、失わないように願うものです。(三七-一五四、七〇年十二月二十三日)


国なきイスラエル

 統一教会は国なきイスラエル民族と全く同じです。第三のイスラエル民族なのです。ですから私たちは、いかなる苦労、いかなる闘いをしても、故郷の地を奪い返して占領しなければなりません。そうして、思う存分にできる主権を備えることを望んでなりません。

 では、第二イスラエルの主権基盤を中心として、今まで苦痛の路程をたどってきた、その希望とは何でしょうか? その国に帰って主権を復帰し、世界的に誇るにふさわしい国民の位置に立って、入籍をすることです。これが最高の願いなのです。これを早い期間内に、どのように達成したらよいのでしょうか?言うに言えない思いを秘め、この目的に自らのすべてを注ぎながら、前進していかなければならないのです。これは原理的なのです。

 入籍をすべき時になった場合には、国を越えて、すべてが帰りたくなるのです。今のイスラエル民族がそうなのです。今もアラブと戦いながら、イスラエルに帰りたい思いを抱いているのです。私たちも、入籍すると同時に、私たちの持つすべてを、その国のものとしたいという願いを持たなければなりません。

 入籍する順番によって、先祖の位置が違うのです。第一入籍者は第一先祖の位置に立ち、第二は第二、第三は第三の先祖になります。そして、比例的に数が多ければ自然と、その主権国家において、重要な権威を受け継ぐというのです。これは事実です。どの国民が、そのような国民となるでしょうか? 日本人がそのような国民となるでしょうか?アメリカ人でしょうか? それを考えるとき、互いに競争して、昼も夜もなく、努力していかなければなりません。いくら日本がエバ国家だといっても、じっとしていてエバ国家になれるでしょうか? み旨のために仕事をするのは、結局、自分自身のためなのです。そして、だれもが自由自在に行ける道を広げることにもなるのです。それは自分の国のためなのです。そのように考えるならば、一つにならざるを得ないのです。繁栄せざるを得ないのです。それは最後の愛国心です。もしもイエス様が来られた時に、そのような条件基盤が、今の統一教会の基準程度に成されていたならば、イエス様は死んだでしょうか、死ななかったかでしょうか? イエス様は死ななかったのです。(三五-一七二、七〇年十月十三日)


故郷へ帰るためには

 私たちの故郷の地はどこでしょうか? 考えてみてください。人間は本来、故郷の地で生まれましたが、堕落することによって、故郷の地を失いました。では私たちが、再び故郷の地に帰るとするならば、どのようにすべきでしょうか? 昔、アダムとエバが、堕落をしないで夫婦となり、家庭を持ち、父母となったならば、家庭の家長となり、氏族の族長となり、民族の指導者にもなれたのです。また、国の指導者にもなり、世界の指導者にもなれたのです。そしてアダムの思想は、世界的な思想となったことでしょう。

 本故郷の地とは、父母を中心とした愛を、天地のいかなるところにも躊躇せずに広げることのできる所です。それは、堕落していない人間の前に与えられた特権的な権限です。そこが私たちの本郷の地なのです。

 では、今日、私たち統一教会が、真の父母を中心とした愛を世界に広げうる圏になっているかというと、なっていないのです。今後、統一思想を中心として、そのようにしなければなりませんが、そのようにできる基盤とは、どこでしょうか? 大韓民国がそのようにできる所になっているでしょうか? 大韓民国は今、政治的に与党と野党が対立し、宗教も数多くの分派となって分かれています。また、国も南北に分かれていて、世界でいちばん複雑なのです。大韓民国は、このように複雑でなければならないのです。このように、いちばん複雑な中で、いちばん冷遇されている統一教会が、重い荷物をすべて担い、このような環境をすべて収拾し、今後、すべての宗教の主体的な立場に立って、国を主導できる立場にまで上がっていかなければならないのです。今、そのようなことが、できるかどうかをテストする過程にあります。

 皆さんは、このように定着して、一つの夫婦にならなければならないし、父母にならなければなりません。さらには、氏族の族長になり、民族の族長になって、主権者を代表した世界の中心的な存在にならなければなりません。そうして、この世の万民を、その懐に抱くことができてこそ、そこが世界的な本郷の地となるのです。今日、私たちには、このような世界的な故郷の地を創造すべき責任があるのです。

 そのためには、皆さんは真の父母を、天地に二つとない父母として、万民が侍りうる父母として、侍っていかなければなりません。また、すべての主権者がこの父母の前に屈服することのできる、主権者の権限を持ちうる基台を築いていかなければなりません。このような基台を大韓民国に築いておかなくては、理想的な本郷の天国は成されないということを、皆さんは知らなければなりません。またこれが現在、私たち統一教会の行くべき運命の道であり、唯一の復帰の限界点であるということを知らなければなりません。(三七-一五二、七〇年十二月二十三日)


栄光の一日が私たちの目前にきた

 私たちが神様を中心とした自主的な国で暮らせるという、その希望の一日が、何ものにも換えられない価値ある時間であるということを、皆さんは知らなければなりません。あの霊界に行った人々の中には、神様を中心とした国家圏内で暮らした人はいません。先生はそれを知っています。私は統一教会の教会員を苦労させましたが、国を復帰し、摂理的な国家圏内で主権者の前に、国民として、堂々と生きえた本然の人間像を持てるということが、どれほど権威あることかというのです。先生は一生の間、それを標準として生きています。今まで先生は、多くの人を苦労させてきましたが、その国の国民のための主権者としての神様に侍り、その心情を傾け、一生のすべてをすっかり捧げうる栄光の日のために闘ってきたのです。

 先生はだれかがひと言、言っただけでも、号泣してしまうのです。天の心情をあまりにも、よく知っているからです。天下を統治して、アメリカを治めなければならない神様が、主権者の中の主権者となり、万世の大王としてすべての権威を持ち、万民を父子の関係の世界へ統治しようという理想が、蹂躙された事実…、それが恨なのです。この時点で、私たちは立ち上がるのです。すべての悪なる権勢を倒し、天の願いであった主権を勝ち取ることのできる栄光の一日が、私たちの目前にやって来たのです。

 私の頭があるならば、それが最高の願いであり、私の目があるならば、死ぬ前に私の目に土が入る前に、それを見なければならないし、私の口があるならば、その国を称賛できる言葉を話さなければならないし、私の体があるならば、その国の国民として血と汗を流し、忠誠と忠情の道理を果たすことができるのです。そのようにできることが、人間として生まれた甲斐のある、価値的な生活なのです。皆さん、そのことを考えてみましたか? これから自らの手で国を建て、御父母様に侍り、神様の願う億万年の恨を解きうる時代を目前に控え…、私たちのこの溢れんばかりの胸を、いかに押さえることができるでしょうか? 爆発、爆発しなければなりません。

 それを考えると、あの北韓の同胞たちがかわいそうです。先生は監獄生活もしたので、北韓の事情をよく知っています。彼らは完全に四〇年間、それこそ、全部が奴隷になっているのです。彼らは韓国に、自分たちを救うことのできる国民を求めているのです。南の主権者を求めているのです。この国の主権者が、この国の国民が、それができずにいるのです。私がそのことを知って、私だけでもその事をしようと訴えているではありませんか? 伝統を残すのです。歴史的事実がそのようになっているので、後代にも皆このことを継承し、そのみ旨を完成できる一つの標的を立てるために、条件的基盤だけでも築かなければならないというのです。

 父の国で生まれ、父の国で暮らし、父の国でご飯を食べ、仕事をしている最中に死んでいかなければならないのです。国がありますか? 答えてみなさい。父の国になりましたか? 先生は、これを知っているために、父の国を得るために、一生の間、苦労したのです。万民の願いがそうであり、霊界の切ない願いを私が知っており、それを解怨してやるべき父母の責任を担ったゆえに、今日も生涯をかけてこれをしているのです。ですから、何をどうだとか、こうだとか言っていられないのです。

 そうするには、まさに入籍をしなければならないのです、入籍を。皆さんは全員、神様の前に入籍しましたか? 入籍できなかったのです。これは千秋の恨であり、万世の恨です。真の父母の名を持ったこの者自体としては、このような恥を後代に残してはならないことを知っているゆえに、歯をくいしばって、血を吐きながら、この道を開拓しなければならなかったのです。昼も夜も「夜よ、行くな! 昼よ、来るな!」と言って、開拓してきたのです。ですから、アメリカならばアメリカで、「アメリカ人よ、食べて遊べ! 食べて寝ろ! 腐ってしまえ! 君たちがそうしている間に、私は基盤を作る」と言ったのです。

 先生は横になりながらも、いつもそのように考えました。ここは父の国の家でないから、愛着がわかないのです。ここで愛着を感じ、暮らし、子供たちを生んだりするのは、止むをえずにしていることです。神様と天の国の霊人たちが、祖国の統一が来ることをどれほど願ったことでしょうか! どれほど願ったことでしょうか!「私が地獄に生きるとしても、私が天上の低い所にいるとしても、私たち祖国がいち早くできたなら……」と言って願うのではないでしょうか? その祖国が現れるとき、自分たちが解放されるのです。ですから、特別に許してあげなければならないのです。私は監獄においても、そのようなことをして、出てきたのです。門をすべて開いておいたのです。肉界霊界にすべてハイウェイを作っておいたのです。

 ゆえに、そのすべての霊界は真の御父母様に対して、すべてがそのような方向を取って、一つの国に進軍すべし! このように願っているのです。霊界が地上に向かって、「真の御父母様、頑張ってください」と祈祷しているのです。そのことを知らなければなりません。神様の願いはこれではないでしょうか?「地上の真の御父母様、どうか、どうか、立派に闘って、霊界の恨を解いてください……」。君たちは今まで、神の国で生まれて暮らすことができず、この地上のサタン世界で暮らしてきて年齢が多いことを、恥ずかしく思わなければなりません。(一六四-二一八、八七年五月十六日)

 この国とこの世界は、エデンの園の復帰型であるため、罪なき世界、平和の世界、天が喜びうる世界にならなければならないのです。そのようになれなかったので、皆さんは考えなければならないのです。「ああ、私が持つべきである世界にサタンが居座っていることを思えば、私が忘れずに国を持って誇るべきなのに……、国を持って誇るべきなのに……」このように考えなくてはなりません。皆さん、国を持って誇ってみましたか? サタンは国を持っていると自慢しているのに、私たちはサタンに対して氏族だけを持った立場にあります。国を持ったサタンの前で、優勢な立場で振る舞えないために、いつもサタンの前に追いやられる立場に立たされたということを、皆さんは知らなければなりません。

 このような千秋の恨を解こうとするならば、私たちは国を持った国民にならなければなりません。堂々と天の国に戸籍を登録して入籍した土台の上に、皆さんの息子と娘が、堂々たる国の権威を割り当てられ、天の保護の下で、天の国を愛する忠臣の道理をわきまえることのできる、そのような環境を持たなければなりません。そうしてこそ、初めて本来の人として行くべき道を行くことのできる家庭の基台を成し、復帰された立場で接ぎ木をすることができるのです。(五八-一九八、七二年六月十一日)


二、神様の祖国はどこか?

 祖国はどこですか、祖国は? 祖国とは、何の祖国でしょうか? 神の国のことですが、どんな神の国でしょうか? そこは縦的な父が現れることのできる国です。その縦的な天の父が生まれるためには、横的な真の父母が完全に現れて、神様を愛で包んであげなければなりません。縦横の真の父母が現れることのできる、そんな所が祖国になるのです、祖国。祖国の根となるのです。(一七六-三三七、八八年五月十三日)

 統一祖国というのは、完全な家庭、アダム家庭から始まるのです。ですから、アダム家庭は家庭の先祖であり、氏族の先祖なのです。また、完成したアダムは民族の先祖であり、国家の先祖であり、世界の先祖であり、天宙の先祖になるのです。

 それゆえに、聖書でも「私たちの体が聖殿になったことを知らないのか?」と言ったのです。私たちの体が聖殿になっています。神様が臨在できる家だというのです。神様の臨在し得る初めての家が、男性としてのアダム、女性としてのエバなのです。それゆえに、神様が臨在し得る初めての男性と、初めての女性が先祖になるのです。先祖が生き、先祖が出発した国が祖国なのです。すなわち、先祖と連結したその国が祖国になるのです。(二四二-一六六、九三年一月一日)

 神様の祖国はどこでしょうか? 真の父母と真の家庭があるところです。では、真の父母の本郷とはどこでしょうか? 神様と、その息子・娘のいるところです。その真の父母の祖国はどこでしょうか? 神様と子女がいるところ、すなわち愛することのできる主体と対象があるところが祖国なのです。主体者と対象者の愛を持つことができるのが祖国なのです。

 だとすれば、子女の祖国とはどこでしょうか? 神様を主体として真の御父母様を愛することができ、子女が対象として愛を受けることのできる所です。そこが、統一教会でいう四位基台の本郷の地なのです。それが、理想的な祖国です。なぜ、理想的な祖国なのでしょうか? 真の神様の愛と真の父母の愛と真の子女の愛があるからです。これが根本となり、拡大された世界が理想世界なのです。四位基台にはそのような原則があります。(一二四-二六六、八三年二月二十七日)

 祖国というのは何でしょうか? 祖国は、父と母の国なのです。私たち先祖の国です。母、父、私たち先祖の国です。初代先祖の国です。その初代先祖から愛して下ってきた、この国なのです。その愛は不変であるため、その国は変わってはいけないのです。歴史時代に、国を中心として祖国だと主張した、すべての人々の伝統的な背後を見るとき、このような真の御父母様の愛する祖国を失わない、そのような民族がいません。常に失ってきました。(一七三-一六八、八八年二月十四日)

 神様のみ旨にかなった祖国は、真の愛を中心とした人類の祖国であると同時に、故郷です、韓国はそのような人類の祖国と故郷にならなければなりません。(一八五-一三一、八九年一月三日)

 伝統的な私たち本然の祖国、統一された本然の祖国という所には、神様に仕え神様の御名による愛がなければなりません。そこに、愛と共に伝統的な男性を備え、女性を備えなければなりません。それゆえ、神の愛の三位基台が一つになってそこに残った、息子・娘を抱かなければなりません。そして、その息子・娘を抱き、育み、嫁をもらったり、嫁に行かせたりしなければなりません。そのようになってこそ、家族を中心として、横的な親戚が生まれるのです。その親戚の拡大を中心として、氏族・民族・国家・世界へと拡大していけば、私たちはどのようになるでしょうか? 天国家庭の長となるのです。そうです、愛には統治権があるのです。愛には同位・同参圏があります。神様の所有であり、私たちの所有です。世界の所有であり、私たちの所有なのです。世界の権限であり、私たちの権限となる、このような同参圏があるのです。それだけでなく、永遠なる相続権が真の愛にあるという事実を知らなければなりません。同参・同位・同席圏が真の愛にはあります。(一七三-一八一、八八年二月十四日)


神様が願う国とは、どんな国でしょうか

 神様が願う国は、どんな国でしょうか? 神様は、大韓民国を願いません。アメリカも願いません。アメリカがどんなに立派だとしても、神様の眼中にはありません。韓国がどんなに立派だとしても、韓国も神様の眼中にはないのです。神様が願う国は、異なる系統を通して、成していかなければなりません。今日、第二イスラエルを通して成そうとする時代が訪れたために、第二イスラエルを準備し、世界的な基盤を準備しました。この第二イスラエルの民主世界圏が責任を果たせないときには、これを放棄して第三イスラエルを求め、本郷の地、新たな祖国創建の基礎を作っていくことが神様のみ旨なのです。

 では、神様が願う国、すなわち、祖国とはどこなのでしょうか? 人類の祖国はどこでしょうか? 真の父母が来る、その国が人類の祖国です。人類の本郷の地は、どこでしょうか? 人類の真の父母が生まれた故郷が、宇宙とこの歴史的な世界の故郷の地です。

 人類の真の先祖が現れれば、人類は真の先祖の思想と真の先祖の伝統を受け継ぐようになります。その伝統を受けていない人は継子(連れ子)なのです。子女の中には、いろいろな種類があります。継子・養子・実子があります。養子と継子は父親が違うのです。(一五六-二三三、六六年五月二十五日)

 祖国はどこでしょうか? 神様の願う国、すなわち、祖国とはどこでしょうか? 人類の祖国はどこでしょうか? 人類の真の父母が来るその国が祖国です。そうではありませんか、道理が? 祖国はどこだと言いましたか? 人類の本郷の地はどこでしょうか? アフリカやその他、数多くの国々がいろいろとありますが、人類の本郷の地はどこでしょうか? 人類の真の父母として来られたそのお方の生まれ故郷が、宇宙と、この歴史的な世界の本郷の地になるのです。

 そうなることによって、もしも韓国が神様の願う、この世界の本郷の地となり、宇宙万民の祖国になったとするならば、その国の新しい文明は世界を支配し、その国の言語は世界語になり、その国の男女は世界的な男女になるはずです。そうなれば娘たちからは、これからは王子様でなければお嫁に行かないという話が出てくるはずです。また青年たちも、世界的なお姫様でなければ嫁には迎えない、という話が出てくるのです。このようになるように、つくってみようと言うのです。(一五六-二三三、六六年五月二十五日)

 神様が願う祖国はどこでしょうか? 人類の故郷はどこでしょうか? 真の御父母様がお生まれになった故郷が歴史的であり、宇宙的であり、世界的な故郷の地になるのです。先祖と思想と伝統を受け継がなければなりません。そうでなければ、継子の扱いを受けます。しかし、このような相続をすれば、養子を経て、将来は息子・娘の立場にまで入れるようになるのです。このような大問題が、この国で成されなければなりません。

 先生は内外をびっくり返さなければなりません。韓国の国民は選民にならなければなりません。韓国が本郷で祖国であるならば、すべての世界的な文明は、韓国で築かれなければなりません。私たちが韓国を故郷にするためには、今日、忠誠・精誠・愛・犠牲の、祭物となることを覚悟しなければなりません。そうでなければ、韓国は本郷としての資格を失うようになります。良いものを作るためには、実践が必要です。血と汗と涙を流しながら成さなければなりません。(一五-二八三、六五年十一月二日)

 イエス様の祖国、モーセの祖国、ヤコブの祖国、アブラハムの祖国、その祖国とは、どこでしょうか?神様が願う祖国はどこなのでしょうか? 神様は民と、その国を統治できる主権がないことを嘆いておられます。神様の主権が成立すれば、世界の統一は一時にして成されるのです。(一五-二七六、六五年十月三十日)

 先生は、なぜ国に戻るのでしょうか? 人は故郷を持たなければなりません。故郷を持ち、祖国を持たなければならないのです。故郷を愛した者が国を愛することができるし、故郷と国を愛した者が世界を愛することができるのです。先生がアメリカに行けば、アメリカが故郷になり、祖国になります。しかし、心情基準において、アメリカはそのようになっていません。何と言っても、最高の基準が韓国になっているからです。それを連結して、世界基準にまで引っ張っていくべき使命があります。したがって、韓国に行って、再び闘わなければならないのです。皆さん以上にしなければならないのです。(一五-一四二、六五年十月三日)

 神様が願う祖国はどこでしょうか? 神様自体ではないのです。国がなければなりません。国を作るには、民がなければなりません。ところが、それをすべて失ってしまいました。個人の安息地を中心とした基台をなくして、娘を愛せない神様、息子を愛せない神様なのです。その娘と息子たちが悲哀の立場で悪魔の僕となり、億千万世の地獄行きの列車に乗ったのです。地獄行きの列車とは何かというと、悪魔の愛に引きずられる列車です。それを知らなければなりません。(一七三-一六八、八八年二月十四日)


三、私たちが入籍する祖国とは

私と関係があるものは、サタンと因縁づけられている

 私が暮らしている祖国は、はたして私が望む祖国でしょうか? そうではないのです。私が生まれた本籍は、私が本来願った本籍でしょうか? そうではないのです。私が今暮らしている現住所は、はたして私が永遠に暮らしたかった、そのような住所になるのでしょうか? そうではないのです。今、私の父母は永遠に私と共にいられる父母となりうるでしょうか? そうではないのです。

 現在、生きている社会がそうなっており、この世界もそうなっているならば、そのような世界に生きる自分自身とは、いったい何者なのでしょうか? 更には「あなたはどんな立場にあり、だれのものか?」と問われるとき、普遍的なその結論は「私は善なる世界のものでなく、悪なる世界のものである」というのです、悪なる世界のものです!

 今後、皆さんが歩んでいくにあたって、「あなたはだれのものか?」と問われたとき、徹頭徹尾このような観点から、私は全体を代表して、あるいはこの世界に対し、歴史に対し、現世に対し、今後の未来に対し、あるいは故郷を、あるいは全体を代表して、「私はだれのものか?」というならば、神とサタンの闘う、この二つの世界圏内において、私が本心から要求し、本心から求めるすべての願い、本心から求めるすべての希望を、達成しうる圏内に入っている存在でなく、その外に置かれた存在であるため、「私」は明らかに悪なる世界のものだというのです、悪なる世界のもの。

 それゆえ、堕落した子孫たちは、明らかにサタンのものなのです、サタンの子孫。私が暮らしている国、私が生きている世界はサタンの世界です。私が生きているこの国もサタンの国であり、私が生まれた故郷の地もサタンの故郷です。私を生んでくれた父母もサタン世界の父母であり、私と共に暮らしている兄弟もサタン世界の兄弟であり、私と共に同じ学びの場で学ぶ友人たちもサタン世界の友人です。私がこの地上で何をしたとしても、やはり、私のものはありません。サタン世界と因縁づけられているのです。このように見るとき、あなたがたはだれのものであり、何をすべきでしょうか? これは極めて重大な問題です。(一五五-六五、六五年一月二十一日)


神様と共にある地球星が人間の祖国

 人はだれにでも祖国があります、祖国。祖国があるのです。では、私の祖国はどこでしょうか? アメリカの人々はアメリカが私の祖国です。祖国には一体何があって、私たちは好きなのでしょうか? そこには自らの、すべての歴史的なものがあります。自分を中心とした歴史的な背景がはっきりとしています。それから、自らの現在の関係がはっきりとしています。その次に何かというと、人は自分の未来を、祖国の未来観を中心として考えるものです。現在と未来の関係によって、良い国と悪い国、先進国と低開発国、という問題が起きてきます。そのような中で、人には未来により良き国を追求したい、そんな心があるのです。そうなっているのです。

 私たち人類の先祖は一つです。それでは、私たち人類始祖の祖国はどこでしょうか? 聖書を見ると、神様がそのことについて直接語られています。私たちの始祖が持っていた祖国は、神様がおられた所です。神様と共にある所です。では、その神様と共にある国とはどんな国なのでしょうか? それは地球星という国です。地球星という国であるということを知らなければなりません。結局、その地球星とは、未来の子孫たちが持つべき一つの祖国の地だったのです。

 それでは、その祖国の地は過去にはどうだったのでしょうか? それは、すでに神様と直結するのです。神様と直結するのです。もしもそうなっていたら、現在はどうなっていたでしょうか? その時は堕落のない理想世界と通じるようになっていた、ということを知らなければなりません。理想的世界ですから、理想的な人が生きることができ、理想的な言葉と理想的な心情と理想的な愛と理想的なすべてが通じることができるのです。そして、どのようになるのでしょうか? 理想的と言うのは、漸進的だということです。向上、いつも、常に落ちないのです。落ちても、向上しながら落ちるのです。

 理想的な世界において、理想的な文化と理想的な言葉とは、どんなものでしょうか? 理想的な言葉は、理想的な考えから出てくるのです。その理想的な考えは、何を中心とした考えかというのです。それは天、すなわち主体であられる神様から受け継いだものです。そこから私たちは、主体と対象の概念を知るようになるのです、主体と対象。では今日、人間として願う、主体としたい存在とは、いったい何であるかというと、だれもがそれをこの宇宙の中心存在である神様の前に帰着させたいのです。堕落した人間といえども、その欲望は変わらないのです。これは変わっていないのです。(一二四-一六三、八三年二月二十七日)


主体と対象の愛を持った、四位基台の本郷の地が理想の祖国

 神様が必要とする祖国があるならば、そこはどんな所でしょうか? 初めての愛が結ばれた所が、神様の願う祖国の地になるのです。また、人間が願う祖国の地になるのです。初めての愛の因縁の基台が祖国の地になるのです。そのような概念を私たちは、ここで得ることができます。

 神様の祖国はどこでしょうか? 真の父母と真の家庭がある所なのです。では、真の父母の故郷はどこでしょうか? 神様と自分と息子と娘がいる所です。このようになります。この真の父母の祖国はどこでしょうか? 神様と子女がいて、愛することのできる主体と対象がある所が祖国です。主体者と対象の愛を持てる所が祖国なのです。

 では、子女の祖国はどこでしょうか? 神様を主体として、真の御父母様を愛すことができ、私は対象として、愛を受けることができる所です。そこは統一教会でいう、四位基台の本郷の地である、という話が出てくるのです。四位基台の本郷の地です。それは何でしょうか? 理想的な祖国だというのです。なぜならばそこには、真の神様の愛と、真の父母の愛と、真の子女の愛があるからです。それゆえ、これが根本となって拡大した世界となったのが、理想世界ということになるのです。この四位基台には、そのような原則があるのです。それを全部整理しておかなければなりません。(二四-二六六、八三年二月二十七日)


完成の本拠地は神様とメシヤに会う所

 完成した人は、どのようにならなければならないかというと、天と共に世界的な一つの国の国民にならなければならないのです。皆さんにはアメリカ人、ドイツ人、韓国人という観念が皆ありますが、私の国はどこにあるでしょうか? この地球です。この地球が私の国です。私の故郷はどこでしょうか? この地球が私の故郷です。先生は国境のようなものは知らないのです。黒人だとか、白人だとかいうものも知らないのです。みな神様の息子です。

 では、このレバレンド・ムーンはどこの国の人ですか? 韓国人ではありません。神の国の人です。韓国という言葉は好きではないのです。韓国は今まで三〇年間、私に反対した国です。それゆえに韓国を捨てたとしても、世界を求めて救出しようとするのです。「黄色人種を捨てたとしても、白人を求め、黒人を求めよう! それゆえに白人を求め、黒人を求めて、あなたを訪ねよう!」というわけです。それで、今、アジアと韓国が危ないことを知っていながらも、アメリカに来てこの役事をしているのです。さあ、先生はどこの国の人ですか? 父の国の人ですね。

 その国が、私の生まれた祖国たる韓国よりも、偉大であることを発見し、私の父や母と生きるよりも、偉大であることを発見し、故郷にいるすべての兄弟よりも偉大であることを発見したたがゆえに、すべてを捨てて、それを私の故郷、私の国とせざるをえなかったのです。それゆえに、天国に入籍することのできる手続きを、私が学んだというです。そうするには、書類がなければなりません。このつまらない人々が暮らすアメリカの永住権を得るだけでも、どれほど複雑なことかわかりません。それでは、天国の市民になるのは簡単でしょうか?

 「その資格のある者は私だ!」と言ってはいけません。だめなのです。こっちへ行けと言っても「はい」、あっちへ行けと言っても「はい」、こちらに来いと言っても「はい」、明日来いといっても「はい」、すべて「はい」と言わなければならないのです。自分の国と何か手続きが違うと言って不平を言えば、不可能なのです。ただひたすらに、目も「はい」、耳も「はい」、考えも「はい」、心も「はい」と言わなければなりません。そうです、先生にそのような資格があるならば、先生が教えたとおりに、何でもしなければなりません。では、英語を使わずに韓国語を使いなさいと言ったならば、どうでしょうか?「えっ! 英語を使わないって?」と言ってはいけません。そのように主張することができないのです。そのような過程をたどらなければならないのです。

 そのためには結局、今後メシヤに会って、メシヤの証人の下で、神様の前に承諾書を受けなければならないのです。今では皆さんもこのことが理解できるでしょう? その次に完成が絶対に必要なのです。しかし、それ以前に神様が絶対に必要であり、それ以前にメシヤが絶対に必要だというのです。それゆえ、そのメシヤのために、神様の前に自らのすべてを犠牲にしても余りあるようにならなければなりません。

 完成はどこにあるのですか? 完成できる場所はどこかというのです。はっきりと知らなければならないのです。それはメシヤに会う場所なのです。メシヤに会うためなのです。メシヤに会うために歩んでいるのです。まだ行くべき道が残っているのです。ですから、メシヤに会うことによって、神様とメシヤに取りすがってこそ、初めて完成できるということを、はっきりと知らなければなりません。

 では、完成の本拠地はどこでしょうか? 神様と完成したメシヤ、完成した父母から成されるのです。個人完成はそうですが、家庭完成とはどこから始まるのでしょうか? いくら白人の夫婦が、チューインガムのようにくっついて離れられないほど楽しく、かごいっぱいにハチミツがあふれるくらいに幸せに暮らしたとしても、それは理想的な夫婦ではありません。メシヤの保障の下で、神様の公認を受けることができなければなりません。そのように完成した個人が、一つとなって夫婦となり、承認を受けてこそ、初めて完成した息子と娘がこの地球上に誕生することができるのです。神様を中心としたメシヤを通じてこそ、家庭を完成することができ、そこから息子と娘が生まれてくることができ、一つの氏族が形成され、一つの国家と理想主義世界が現れる、という結論が出てくるのです。これは妥当な結論なのです。

 世界の完成であるとか、理想の完成であるとか、幸福の完成などといった、すべての要件がある完成の本拠地、本郷はどこでしょうか? 本拠地はどこかという問題を考えてみると、神様とメシヤという決着点に、すべて連結されます。神様を除いて完成はなく、メシヤを除いては完成がありません。完成した以上の社会もありえないし、理想国家も現れることができません。神様とメシヤだけが、すべての幸福と理想的な追求の要件を解決しうる故郷の根拠地なのです。(七九-二四七、七五年八月二十四日)


私が祖国の根源になってこそ

 愛の祖国が必要です。愛の個人の家を大きくしていけば、国になります。氏族のその群れを大きくしていけば、国になります。国を大きくしていけば、世界になります。愛なしには嫌なのです。愛ある韓国は人類の祖国なのです。全世界の個人の祖国なのです。万国の祖国ではありません。万国は必要ではありません。個人個人なのです。この社会は個人個人から織りなされていくのです。それゆえ祖国創建は、皆さん個人個人、人類一人一人の愛の絆を束にすることによって、完成するのです。(一九一-三〇五、八九年六月二十五日)

 私に神様が入っておらず、天国が入っておらず、祖国が入っていない限り、その天国とその神様とその祖国は、私とは関係がないのです。神様がなく、祖国がなければ、サタン世界です。サタンがいて、地獄があるのです。確実なのです。天国と地獄が他の所にあるのではありません。私にあるのです。私が神様に侍ろうとするので、祖国を持とうとするので、ものを見るときは神様のように見なければならないし、話すにも神様のように話さなければならないし、聞くにも神様のように聞かなければならないし、行動するにも神様のようにしなければならないのです。そうすることによって神様が私と共にあり、祖国が私と共にあるのです。自分自身がそのような人となり、私の対する万物がそのようになってこそ、神様のものになるのです。そうすれば、私のものになるのです。(二〇一-二二六、九〇年四月二十二日)

 大韓民国が滅びるようになれば、先生はふろ敷包みを持って出ていくのです。先生は滅びる日を知っています。先生は、あらん限りの力を振り絞ってもできないときには、別のところに行って暮らすつもりです。大韓民国の入籍を拒否してしまうのです。先生は大韓民国の息子でしょうか? 神様の息子です。そうではありませんか? 先生は大韓民国で生まれたことは生まれましたが、先祖から引き継いできた五千年の歴史の前に恥ずかしくないように、内外の道理を果たそうとしているのです。そればかりやっていたら世界が滅びるので、世界を生かすことのできる所に行くのです。ヒマラヤ山頂やアルプス山頂に行っても、一人で座って、コンピュータやファクシミリで世界を指導できる体制を、すべて備えておきました。今回、アメリカもすべて収拾してきたのです。日本もみな収拾し、韓国も収拾しておいたので、先生がいなくても一人を呼んで命令すれば、そのとおりにしなければならないのです。そのとおりにしなければならないのです。先生の話を聞いても行わなかった人々には、そのときは先生の部下を送って「信じよ!」と言うのです。(二〇七-三〇七、九〇年十一月一日)


真の父母が生まれた所は人類の祖国

 真の父母が生まれた所は、人類の祖国になり、地上天国と天上天国の出発地になり、神様の全権時代を迎えるようになるでしょう。それゆえに、滅びることなく全盛の時代へと発展するでしょう。大韓民国の国民は訓読会を通して、真の父母と超国家的に一体となり、万国の勝利圏を誇る国を成したまえ。アーメン! (「アーメン」) (二九〇-五三、九八年二月二日)

 韓国はだれの祖国ですか? 韓国人の祖国ですか、日本人の祖国ですか? どちらですか? 人類の祖国です。人類の祖国なのです。祖国とは何かといえば、故郷と連結しているのです。故郷の国だというのです。故郷には父母がいます。また、国家には王がいます。故郷の父母、国家の王を中心として、世界の蘇生・長成・完成を連結させることができるのです。故郷を得た基盤の上に国家を得ることによって、世界は自動的に連結するのです。そのような時代になりました。(二九〇-一〇四、九八年二月三日)


四、私たちが探し求めなければならない祖国

 本郷の地と本郷の祖国はどこでしょうか? 祖国はどのようになるのでしょうか、祖国は? 祖国はもちろん、ある特定の一国家的な基準になるでしょうが、神様が探し求める人類の祖国はどこかといえば、この地球星です。この地球星なのです。この地球が人類の願う祖国なのです。神様が願う人類の祖国だというのです。

 過去に多くの歴代の先祖たちが、犠牲の道を歩んできましたが、彼らが願いを持って、天の前に訴えつつ歩んでいった内容は何でしょうか?「希望の祖国の時が、どうか訪れますように」ということでした。天の国家を建てることによって、今まで天の前に怨讐であった大師団を審判し、悪を除去して、善だけを中心とした平和の天国を、この地上に築いておかなければならないのです。それが神様の願いであり、イエス様の願いであり、今まで摂理路程において大変な貢献を残した、私たちの先祖の願いだったのです。(一五五-三二一、六五年十一月一日)

 私たちは祖国を探し求めなければなりませんが、今その国がありますか? 私たち統一教会が願う、その国がありますか? 神様が探し求める国、神様が探しておられる、その祖国がありますか? 神様を父として侍っている息子・娘として、その父が探しておられる祖国がないのに、その息子・娘たちが祖国を持つことができますか? 祖国がないから国籍もないのです。国籍がないために、今まで冷遇を受けてきたのです。

 私たちには、まだ祖国がありません。この場に立っている私を、皆さんは先生と呼びながらついてきてはいますが、先生はまだ慕わしき祖国を見ていないのです。この祖国を重んじる信頼感、祖国を重んじる愛国精神を教える道が、このサタン世界にどれほどたくさん現れたことでしょうか? それを防止し、侵食し、制裁した悪の群れは消え去っていきました。(三六-一八八、七〇年十一月二十九日)

 今まで人類は生まれた国が異なり、文化背景が異なり、国境を別々に作っては自分の祖国と呼びながら、歴史的な先祖たちが生きてきたし、今の私たちも生きているし、子孫たちも生きていくでしょうが、それはすべて堕落圏であることには間違いがないのです。堕落圏を蹴飛ばして、今日の勝利を称賛できる先祖たちと共に、自分の一族と共に、未来の子孫の前に誇らしく称賛できる、勝利の栄光を称賛できる、愛の祖国を探し求めなければなりません。その愛の祖国の中で、愛なる父母を持つことができるばかりか、祖国の中心に神様がおられて、神様に仕えることができる立場になるとき、それ以上の栄光の立場はないのです。(一三八-一〇五、八六年一月十九日)

 今、私たちが暮らしている世界に、祖国がどれほど多いでしょうか? 大韓民国の人は大韓民国を祖国といいますね? 北朝鮮では金日成主席を中心として北朝鮮を祖国といいます。日本人は日本を祖国といいますね? 中国人は中国を祖国といいます。数多くの民族がみな、根源的な国家や先祖を中心として民族を形成すれば、それを中心として祖国というのです。しかし、本来、人間世界の祖国は何百個、何千個ではありません。本来の祖国は一つです。一つでなければなりません。(二四一-一九一、九三年一月一日)

 私たちの祖国は一つの国です、一つの国。一つの国の中で、一つの故郷を探し求めているのです。神様が共におられる故郷、神様が共におられる祖国、神様の御名を持った祖国といえる国がないのです。モスクワではなく、ワシントンでもありません。ないのです。このような祖国と、私たち故郷の地を創建すべき宝物を探そうというのです。(一〇二-二六〇、七九年一月十四日)

 私たちが探し得なければならない祖国というのは、今日この地上にある、何らかの歴史と伝統を持った国ではありません。そのような国とは本質的に次元が違うのです。私たちが次元の違うその国を受け継ぐためには、そのようにできる思想的な主体性を持った国民とならなければなりません。しかし、その主体的な思想は絶対者である創造主がおられるならば、その創造主の思想と一致する思想でなければなりません。絶対者が望む国であるためには、その国の主権を中心として、その国の国民が一致することができる国となることを望まなければならないのです。そういう国民性を備えて、国家形態を備えなければなりません。その形態を保存させることのできる資格を持った人々になれなかったために、その国は形成されていないのです。(四九-九三、七一年十月九日)

 私たち統一教会が願う祖国とは、どんな祖国でしょうか? 皆さん、祖国というのは統一された霊界から始まらなければなりません。統一された霊界によって、地上に一つの国が設定されなければならないのです。観点がこのようになっていることを皆さんは知らなければなりません。あくまでも、神様を中心として、霊界を中心として、地上が一つの統治権時代にならなければならないのです。そのような国をいうのです。(一四九-三四九、八六年十二月二十八日)


五、祖国光復

 天が願う祖国がどこにあり、天が願う故郷の国がどこにあるのでしょうか? 天地は広く、今までこの宇宙に数多くの聖賢たちが生まれて死にましたが、いまだに、神様がおられる家がなく、地がないのです。そのような話を聞きましたか? どうして、天地を創造なさった神様が、この地上で今まで歴史路程において、呻吟してこなければならなかったのでしょうか! これは、神様が誤ったのではなく、私たちの人類始祖が誤ったため、皆さんが歴史を破壊しうる基台圏内に入ったために、天は最後までそれを探し出そうとし、望みを抱きながら億千万世の恨を抱いてこられたのです。これが人類歴史であることを、皆さんは知らなければなりません。(一五六-二二四、六六年五月二十五旦

 祖国を持たない人は、かわいそうな人です。神様を中心として祖国を持つことができないので、神様を信じる人々はかわいそうな人です。皆さんは入籍できないので身元保障がありません。ですから、キリスト教徒たちは放浪の民となったのです。そのことを知っているために、神様が文総裁に祖国光復を命令しているという事実を知らなければなりません。(一八五-六三、八九年一月一日)

 私たちは摂理の完成が成されていないために、祖国を持てないでいるのです。では、摂理の完成はどこからでしょうか? 祖国はどこからですか? 個人からです。私からです。祖国はどこから探し得なければならないのでしょうか? 私から探し得なければなりません。私が祖国の根源にならなければならないのです。私からなのです。(二○一-二二六、九〇年四月二十二日)

 祖国はどこから成されなければならないのでしょうか? それは個人の男性から成されなければなりません。女性たちは気分が悪くても、仕方がありません。男性を中心として妻が一つになり、その二人が祖国を相続できなければなりません。そのような男性と女性が、息子と娘になり、成長して父母となり、年を取っておじいさん・おばあさんになるのです。そして、その下に父と母がいて、息子と娘がいるようになるのです。このように次第に大きくなっていくのです。そうして氏族を受け継ぎ、民族・国家・世界まで受け継ぐことのできる、言い換えれば、統一祖国を受け継ぐことのできる道が、間違いなくできるということを知らなければなりません。(一七二-一五四、八八年一月十日)

 真の祖国を探し求めるためには、大韓民国で真の人を探し求めなければなりません。その真の人をどのように探すのでしょうか? 歴史において、生まれて死んでいった大韓民国の人の中で、だれよりも民族のために、全体のために、より犠牲になり、より愛そうという人が、祖国を受け継ぐことができる人なのです。それは間違いない結論です。もしも、そのような人と祖国を見つけることができなかったとしても、神様がおられて遣い将来に祖国が建てられたときには、その祖国の名の下に、そのような人々を入籍させることができますか、できませんか? できるのです。入籍させてあげることができる、このように思うのです。

 今まで数多くの宗教を信じてきた人々は、地上天国と神様の理想的な祖国に出会うことができませんでした。しかし、このような原則で犠牲となり、すべてを愛するために全体の利益を追求しつつ生きた人は、死んで何千年、何万年後であったとしても、そのような世界が現れるようになったとき、祖国の国民として入籍できる可能性がなくはないのです。あるというのです。(一七二-一五四、八八年一月十日)

 祖国がなければ、悲惨なのです。祖国がないために宗教人たちは悲惨だったのです。審判しようとするなら、個人・家庭・氏族・民族・国家・世界が、不変の基準に立ってこそ、その基準を土台として審判できるのです。祖国は最後の願いです。祖国の中には民族も、氏族も、家庭も、個人もみな含まれています。(一五-二八〇、六五年十月三十日)

 神様は愛することができませんでした。神様は愛することができましたか? できなかったのです。ですから、神様が愛することのできる自由の園を作って、捧げましょう。では、天地間に神様が愛することのできる場所はどこでしょうか? 神様が愛してみた場所があるならば、そこが世界の本郷地になるはずです。もし、大韓民国にあるならば、大韓民国は世界の祖国になるのです。この国の三千万の民族を中心として、そのような国を築いてみましょう。その道を開くために行く道が、今後、統一信徒が行くべき道です。(三四-三四五、七〇年九月二十日)

 統一教会の使命は、私たちの祖国を私たちの胸に刻んで忠臣の道理を果たし、祖国をいかに編成するかということです。私たちは三年間、韓民族のために闘ってきました。私という一個人だけでなく、一段階進んで祖国が恵みを受けられるよ今に苦労しなければなりません。神様が栄光の日を迎えるまでは、イエス様も霊界で祈祷しなければなりません。(一五-二八〇、六五年十月三十日)

 祖国が寝ているなら、自らの手で呼び起こして、新しい朝に祖国を作ることのできる、そのような皆さんとならなければなりません。私一人の身で被害を受け、私一人の身が刺されて血を流したとしても、そこに伝統を残して死んでいく愛国者たる忠臣・烈女になることだけが、私の一生の哲学であり、それこそが私の甲斐ある使命であり、責任であると心に決めて、そのように一生を捧げていったとするならば、その人は永遠無窮に生きた勝利者として、栄光の灯台になることは間違いないのです。このような厳粛な時点が、皆さんが知らないうちに、ただ無意味に流れていく一日、一時、一瞬の中で、通過していくということを知らずにいてはいけないのです。(四九-一〇四、七一年十月九日)

 私たちは、共産党に白昼にナイフで剌される覚悟をして闘っているのです。この民族ができないときは、私たちがしなければなりません。この民族が行くことができないので、私たちが行かなければならないのです。そのためには、だれよりも祖国を愛さなければなりません。統一教会用語で「祖国」というのは、大韓民国という一つの国でなく、世界的な国をいうのです。世界的というのは、堕落した世界圏で使われている言葉なので、気分が良くありません。このような祖国を探し求めていく主義を、統一教会では「天宙主義」というのです。(三六-一八五、一九七〇年十一月二十九日)

 祖国はどこでしょうか? アメリカでも韓国でもないのです。いかなる所であれ、家庭の編成、氏族の編成、民族の編成の成された祖国の地がなければなりません。神様は六〇〇〇年間、数多くの国家を経ながら、この地に実現すべき天の国を願い、探し求めてこられました。天の忠臣・烈女はどこにいるのかと探し求めてこられたので、私たちは天を中心とした国家・民族・家庭を再編成しなければなりません。祖国光復、解放の日のために、召命されたことを忘れてはなりません。祖国創建が宗教人の使命であるにもかかわらず、私一人だけが救いを受けようという誤った欲望を持っています。(一五-二八〇、六五年十月三十日)

 皆さんが決心すべきことは、何でしょうか? 祖国光復の一日を迎えなければならないのです。今日、私たち韓国の国民は、八月十五日を光復節として守っています。解放の日として記念しているというのです。第二次大戦以降、数多くの弱小民族たちが、自分の一国家を中心として、光復と解放と独立を記念しています。ところが、神様を中心として、天地の光復の日と独立を称賛できる日は、いつ来るのでしょうか? その日が来なければならないのです。(一五五-二二三、六五年十月三十日)

 私たちが暮らすことのできる祖国は、まだ永遠な所にあり、私たちの行くべき目的の基準は、いまだに残っています。この過程をどのようにして行くべきでしょうか? 蕩減という犠牲の条件を提示しなければなりません。そうでなければ、行くことができないのです。民族の峠を越えるためには、民族的な試練よりも、さらに大きな試練を自分から先に進んで受けてこそ、民族的な峠を越えて、新たな国家的な基準で出発することができるのです。

 それゆえ、皆さんの持つべき一念は何であるかというと、祖国光復です。祖国光復。神様がこの地上に来られて全天上天下に造られた、万物と天宙のすべてが、神様の喜ばれるなかで神様を称賛し、万民が、その子女の名分で抱かれて、神様の前に自由・平等・幸福を謳うことができ、私たちの福地天国になったと慶び祝う宴を開いて踊ることのできる、そのような一日を迎えなければならないのです。二五五-二二三、六五年十月三十日)

 国がないために、今まで皆さんはすべて入籍がなされていません。アメリカは入籍できなければ、パスポートを持てないのです。それと、ちょうど同じです。いつでも、追放するのです。それで氏族的メシヤが入籍をしなければならないし、国を得なければなりません。ですから国を得るのです。国を得なければなりません。入籍と祖国復帰です。これは世界的です。この国で入籍をして世界に入らなければなりません。国を得たとしても、それは単一民族であって、世界民族ではありません。単一民族の上に世界民族を抱かなければなりません。ですから、地上天国と天上天国です。(二六九-一七三、九五年四月十七日)


祖国光復のための祈り

愛するお父様…、
ここで起こったことがどうか早く天上世界と連結されて、
天のすべてのことを判別できるようにしてくださいますよう
お願い申し上げます。

今後は天と地上の万物すべてが天運にしたがい、
人類の運命を決定しなければならない
厳粛で宿命的な時が私たちの目前に到達しましたから、
重大なるみ旨に向かって、
新しき歴史的な転換時代に
天に向かう一体的な心情圏を基準として、
出発すべきこの時であることを知っています。

お父様…、
お母様を立てて女性解放運動を宣布し、
これからお母様はアダム国家の韓国から
エバ国家の日本と天使長国家のアメリカを通じて、
カインアベルのごときヨーロッパを同じ水準に引き上げるために、
八つの都市を中心として最後の前線に向かう立場にありますから、
お守りくださいませ!

今年に入って役事をなさる背後に
天が共にいてくださり、
お母様を中心としてすべての一体心情圏がヨーロッパに向かい、
ドイツのフランクフルトを経てベルリンを経て、
進行するすべての途上に、
お父様の勝利の恩賜が共にあってくださり、
あなたのご指導とご鞭撻が
共にあってくださらんことをお願い申し上げます。

行く行路にお父様が直々に共にあってくださり、
ただ一人で行ったとしても、
お父様と共に行くような父母の心情圏を与えてくださり、
すべての道に天運が共にあらんことを切にお願い申しあげます。
そうして地上に真の御父母様の行く所々に
神様が直々に来臨なさることができ、
干渉なさることのできる、
自由の天国環境になるよう
お許しくださいますよう切にお願い申し上げます。

これから祖国光復を中心とした天国の道で万民を解放し、
天国に入籍できる本国を創建しなければならない
厳粛なる一つの過程にありますから、
すべての動きがみ旨の前に、
み意のままになされますようお許しくださいませ!

お父様…、
ここに集った全国の子女たちが
任命を受けてみ旨にしたがい、
新しい決心とともに重大なる決意を固め、
民族の将来の方向を決定できる
一つの礎石を置くことのできる時点に至りましたから、
これからはこの世に追従するのでなく、
この世を感動させて引っ張っていかなければならない
責任があることを知り、
強く大胆な心をもって、
すべての面に影響を及ぼすことのできる
あなたの選ばれた子女とならせてくださいますよう、
切にお願い申し上げます……。(二三六-二七八、九二年十一月九日)


六、祖国光復は真の愛で

 神様の祖国はどこから来るのでしょうか? どんな道を通って来るのでしょうか? 怨讐を愛するとき、個人の怨讐を愛し、家庭の怨讐を愛し、氏族の怨讐を愛し、民族・国家・世界の怨讐を愛するという、このような伝統的な道以外には、理想的な祖国が現れる道がないという事実を知らなければなりません。(一〇七-二二、八○年二月二十一日)

 皆さんには、国がありません。神様も国がありません。神様に祖国がないために、私たちも祖国がないのです。私たちは、この祖国を建設しなければなりません。神様の愛と私たちの愛で、個人を中心とし、家庭を中心とし、氏族を中心とし、民族を中心とし、国家を中心として、愛ですべてを連結させてこそ、神様の地上天国と天上天国が成されるのです。真の愛の、個人・家庭・氏族・民族・国家的な地上基盤が立てば、自動的に天上にも国家的な基盤が立つようになります。そうすれば、霊界が自動的に開いて地上と一つになるのです。これが原理観なのです。(一三四-二一六、八五年七月二十日)

 天の国、天国を建設する祖国光復において、独立軍に参戦する女性たちが、歴史上どれほど立派なことでしょうか? 歴史において、どれほど称賛されることでしょうか? 堕落したエバ一人によって、歴史的に女性たちがどれほど呪われてきたことでしょうか? しかし、今や復帰時代において、女性たちが先頭に立って、祖国光復をするにあたって勝利的な基盤を築いたならば、それは、どれほど称賛を受けることでしょうか? 考えてみてください。

 では、どのようにして勝たなければならないのでしょうか? 鉄刀で勝ちますか、何で勝ちますか?真の愛で勝たなければなりません。しかし、女性が現れても、サタンの男性の兵士たちは女性の真の愛を願いません。そんな彼らに、どのようにして勝つのでしょうか? 皆さんは自らを、女王のようにみなさなければなりません。金日成主席は悪なる王です。皆さんは善なる女王なので、自国の権限をすべて持って、悪なる王に無言のまますべてを与えるのです。そのようにして整備をしなければなりません。(一七〇-二四一、八七年十一月二十一日)


愛の三大属性

 愛の属性には相続権があり、同居圏があり、同参圏があります。愛する夫が大統領ならば、妻は小学校すら出ていなくても、大統領の夫と同じ位置に上がるのです。愛する夫婦になれば、夫のものは妻ものであり、昼も夜も、いつでも共に同居できることはもちろん、同参できる権限もあるのです。ですから、愛は偉大なのです。愛には、このように相続権・同居圏・同参圏という偉大な三大属性があるために、神様の絶対的な愛、不変的な真の愛と一致した立場に立てば、神様がおられる所に、私がいつも加わって、いつでも同居できる権限を持つようになるのです。そのようになれば、私が目を閉じなくても、神様を見るようになり、涙を流すようになるのです。神様の悲痛な心情を体恤した者は、道を歩いていても立ち止まって慟哭をするのです。そのような体恤的な世界があるのです。

 絶対的な神様が絶対的な中心になれば、このようになるのです。神様が苦痛を感じないというのは、とんでもないことです。では、どうしてすべてを意のままにできる神様が苦痛を受けるのでしょうか? 神様も愛を絶対的な価値の中心に立てたからです。それを知れば、このようなすべてが分かるのです。

 堕落した世の中でも、母の愛は、もしも息子が外地で不意の事故にでもあったならば、感覚で分かるのです。そういうことがよくあるでしょう? 寝ていながらも「あっ!」といって、子供の名を叫んで起きるのです。愛には、そのような力があるために、その愛と一体になれば、二つの世界がすべて共存して、二人が共に生きるというのです。互いに分かるようになるのです。共存するだけでなく、分かるのです。

 言い換えれば、神様の本質的な真の愛、千年万年、為に生きても、さらに為に生きようというような真の愛を、私の心と体に百パーセント吸収する属性を備えるようになれば、心には神様の真の愛の根が生まれて、神様の感じるすべてが通じるようになり、体が自動的にそこに共鳴するのです。

 心の世界の真の愛を中心として、共鳴体になるように創造されたのが体であるため、心と体が統一世界を備えるためには、神様の本質的な真の愛を回復しなければなりません。このような課題が残っているということを知らなければなりません。重要な問題です。

 このような真の愛に共鳴した理論を中心として見るとき、私たち人間が、そこに一体化し、共同一体圏内に入っていけば、神様の愛が私の愛であり、神様の生命が私の生命であり、神様の血筋が私の血筋であり、神様の所有である被造世界が私の被造世界と言える、天下を抱いた父母の心を持って、天国に入籍するようになっているのです。これが、本来の人間の理想なのです。そのようなことを知っている文総裁が、五色人種を自分を生んだ父母よりも、兄弟よりももっと愛するという心を持って生きてみると、峠を乗り越えて、今日、統一教会を世界最高の立場にまで引き上げるようになりました。(二〇一-五八、九〇年三月三十日)


言語の統一

 皆さんは愛の本宮の基準に入っていくようになれば、神様から学んだ言葉を教えてあげるのです。堕落しなかったならば、霊肉共に通じて話すことができるのです。神様が現れて、母のように、父のように対することができるし、教育したその言葉が、すべてアダムとエバの言葉になるので、その言葉は人類の言語の出発であり、起源となります。その言葉を伝授できなかったことが堕落なのです。本然の真の父母が来れば、これを代わりに蕩減復帰し、伝授しなければならないのです。堕落した世界であるため、救いを受けるすべての人は、そのような立場に立たなければ、今後、入籍したとしても、行くべき道を進んでいくことができません。(二七一-一五五、九五年八月二十八日)

 これからは、強制的にでも言語統一をしなければなりません。真の御父母様が残したすべての記録を読むのに、翻訳物を読むというのは恥なのです。天上世界の恥になるでしょう。天上世界に行けば、神様の命令によって、千年万年を蕩減しなければならないかも知れません。そのように、途方もない問題になるのです。その峠を越えられない人は祖国光復をしたとしても、故郷に帰る道がありません。祖国に居住できる居住証がありません。民として入籍ができないというのです。深刻な問題です。(三〇三-一五七、九九年八月十七日)

 今日、最も至急なのことは、第一に言語の解放です。二つ目は世界統一です。さあ、二〇〇〇年、その時になれば、皆さんは三代になります。皆さんはおじいさんになるでしょう。祖父・父母・子女の三代、一家族のすべてに、韓国語を知らない食口がいてはならないのです。今後、残すところ六年です。そのようになってこそ、韓国に入籍できるのです。本国に入籍できます。頭がクラクラするでしょう? この者たち。しなければならないのです! 今日は何日ですか? 一九九五年一月五日、皆さんが韓国語を学ばなければならないと宣布するのです。そうでなければ、道がないし、希望がありません。神様は希望がないのです。真の父母も同じです。そうです、先生は深刻な人です。理論的にそのような立場なのです。バッサリと切り捨ててしまわなければなりません。ですから、鮮文大学、アメリカのUTS(統一神学大学院)を作って教育するのです。ベリータウンでも、韓国語科を強化しようと思います。今まで闘ってきました。闘いながらも峠を越えられなかったので、すべてをなすことができないのです。宣教師が機関車の役割をしようとすれば、言葉から、文化から、すべての精神姿勢がすべて変わらなければなりません。(二六七-一六九、九五年一月五日)

 これからは韓国語を学ばないわけにはいきません。皆さん、食事の時間があるでしょう? 食事の時間に一時間は必要でしょう? 韓国語ができなければお昼を食べずに、韓国語を勉強してください。先生も三〇代までは昼食を取りませんでした。一日に二食だけ食べるのです。同じように、皆さんも昼休みの一時間でも勉強しなさいというのです。昼食の時間を抜くのです。韓国語を自由自在に、上手にできないときには昼食を取れないのです。今後、昼休みの一時間は韓国語を勉強する時間にするのです。祖国光復、祖国復帰が難しいのと同様に、祖国の文化復帰が容易ではないのです。母国語がなければ、新しい文化世界を創造できないのです。(二六九-二四、九五年四月六日)