2011年2月9日水曜日

第三章 人類歴史の終末論 赤色(核心的内容)第一節,第二節より

第三章 人類歴史の終末論

第一節 神の創造目的完成と人間の堕落
(一)神の創造目的の完成

人間はどこまでも神の心情を体恤してその目的を知り、その意志に従って生活できるように創造されたのであった。人間がこのような位置に立つようになることを個性完成というのである。

個性完成して、罪を犯すことができなくなったアダムとエバが、神の祝福なさったみ言どおり(創一・28)、善の子女を繁殖して、罪のない家庭と社会とをつくったならば、これがすなわち、一つの父母を中心とした大家族をもって建設されるところの天国であったはずである。

神が万物を主管せよと言われたみ言のとおりに(創一・28)、個性を完成した人間たちは、科学を発達させて自然界を征服することによって、最高に安楽な社会環境をこの地上につくらなければならない。このような創造理想の実現された所が、すなわち地上天国なのである。

神の創造目的はどこまでも、まず、この地上において天国を建設なさるところにあるといわなければならない。

(二)人間の堕落

人間は堕落することによって神の宮となることができず、サタンが住む家となり、サタンと一体化したために、神性を帯びることができず堕落性を帯びるようになった。このように、堕落性をもった人間たちが悪の子女を繁殖して、悪の家庭と悪の社会、そして悪の世界をつくったのであるが、これがすなわち、堕落人間たちが今まで住んできた地上地獄だったのである。

人間は地上、天上共に神主権の世界をつくることができず、サタン主権の世界をつくるようになったのである。

第二節 救いの摂理
(一)救いの摂理はすなわち復帰摂理である

喜びを得るために創造なさった善の世界が、人間の堕落によって、悲しみに満ちた罪悪世界となり、これが永続するほかはないというのであれば、神は、創造に失敗した無能な神となってしまうのである。それゆえに、神は必ずこの罪悪の世界を、救わなければならないのである。

罪に陥った者を救うということは、その者を罪のない創造本然の立場にまで復帰させるという意味でなくて何であろうか。それゆえに、神の救いの摂理は、すなわち復帰摂理となるのである(使徒一・6、マタイ一七・11)。

創造本然の人間は、神と一体となることによって神性を帯びるようになるから、創造目的を中心として見るときには、神のように完全になるので、こう言われたのである。

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