2011年2月28日月曜日

第一章 復帰基台摂理時代 第三節 赤色(核心的内容)⑴より

第一章 復帰基台摂理時代
第三節 アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理
(一)信仰基台
(二)実体基台
(三)メシヤのための基台
(四)アブラハムを中心とする復帰摂理が我々に見せてくれた教訓

アブラハムも、まず「信仰基台」を蕩減復帰し、その基台の上で、「実体基台」を蕩減復帰しなければならなかったのである。

(一)信仰基台
(1) 信仰基台を復帰する中心人物
アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理において、「信仰基台」を復帰すべき中心人物は、正にアブラハムであった。

アブラハムはかつてノアの路程のために立てられたが、ハムの犯罪によってサタンに奪われてしまったすべての条件を、蕩減復帰した立場に立たなければ、ノアを中心とした「み旨」を継承することができなかったのである。

アブラハムは、ノアの身代わりであり、したがって、アダムの身代わりであるので、復帰したアダム型の人物であった。したがって、神はアダムとノアに祝福なさったように、アブラハムにも、子女を殖やして大いなる民族をつくり、祝福の基となれと、祝福なさったのである(創一二・2)。

(2) 信仰基台を復帰するための条件物
① アブラハムの象徴献祭
神は、アブラハムに鳩と羊と雌牛とを供え物としてささげるように命ぜられたが、これらは、とりもなおさず、アブラハムが「信仰基台」を復帰するための条件物であったのである(創一五・9)。

アブラハムは、「象徴献祭」をするために、いかなる信仰を立てたのかを調べてみることにしよう。
アブラハムは、第二人間始祖たるノアの立場を復帰しなければならなかった。したがって、またアダムの立場にも立たなければならないので、彼は「象徴献祭」をする前に、アダムの家庭の立場を復帰する象徴的蕩減条件を、初めに立てなければならなかった。

アブラハムの「象徴献祭」は、何を意味するものであろうか。

アダムの家庭で、カインとアベルの献祭を中心として復帰しようとしたすべてのことを、蕩減復帰できる象徴的な条件物をささげなければならなかった。また、彼はノアの家庭が箱舟を中心として復帰しようとしたすべてのことを、蕩減復帰できる象徴的な条件物を、供え物として神にささげなければならなかった。

アブラハムが象徴献祭としてささげた鳩と羊と雌牛とは、果たして何を象徴したのだろうか。この三つの象徴的な供え物は、三段階の成長過程を通じて完成する天宙を象徴するのである。すなわち、まずそのうち、鳩は蘇生を象徴したものである。

つぎに、羊は長成を象徴するのである。
つぎに、雌牛は完成を象徴するものである。

蘇生、長成、完成の三段階を象徴する鳩と羊と雌牛とを、一つの祭壇に載せて献祭したのは、ちょうどアダムの一代で、三段階の成長期間を完成しようとしたのと同様に、アダムの立場であるアブラハムを中心として蘇生のアダム、長成のノア、完成のアブラハムというように、み旨から見て三代にわたって蕩減復帰しようとした縦的な摂理を、一時に、横的に完成するためであった。

今、我々はアブラハムがこの「象徴献祭」をどのような仕方でささげたかを知らなければならない。
創世記一五章10節から13節までに記録されているみ言を見れば、アブラハムは、他の供え物はみな二つに裂いて祭壇の左右に置いたけれども、鳩だけは、裂かずにそのまま置いたので、荒い鳥がその死体の上に降り、アブラハムは、これを追い払ったと記されている。神はその日、日の入るころ、アブラハムに現れて、「あなたはよく心にとめておきなさい。あなたの子孫は他の国に旅びととなって、その人々に仕え、その人々は彼らを四百年の間、悩ますでしょう」(創一五・13)と言われた。アブラハムは裂くべき鳩を裂かなかったので、その上に荒い鳥が降り、それによって、イスラエル民族はエジプトに入り、四〇〇年間苦役するようになったのである。
それでは、鳩を裂かなかったことが、どうして罪になったのだろうか。

供え物を裂くということは、第一に、アダムの家庭において、善悪の母体であるアダムを善と悪の二つの表示体に分立するために、アベルとカインに分立させたのと同じ立場を復帰するためであった。第二には、ノアが洪水四十日で善と悪に分立させた立場を復帰するためであり、第三には、サタンの主管下にある被造世界から、善主権の世界を分立させる象徴的な条件を立てるためであった。さらに第四には、サタンとの血縁関係を通して入ってきた、死亡の血を流して、聖別する条件を立てるためであった。

アブラハムが鳩を裂かずにささげたことは、サタンのものをそのままささげた結果となり、結局、それはサタンの所有物であることを、再び、確認してやったと同様の結果をもたらしてしまったのである。
このように、蘇生を象徴する供え物である鳩がサタンの所有物として残るようになったので、蘇生の基台の上に立てられるべき長成と完成を象徴する羊と雌牛にも、やはりサタンが侵入したのである。したがって、この象徴献祭は、みなサタンにささげたという、結果に戻ってしまったので、鳩を裂かないことが罪となったのである。

象徴献祭の失敗は、どんな結果をもたらしたのだろうか。アブラハムの「象徴献祭」の失敗によって、その象徴献祭で蕩減復帰しようとしたすべてのものは失敗してしまった。その結果、アブラハムの子孫が、異邦のエジプトで、四〇〇年間苦役するようになったが、

アブラハムがこれに失敗したので、彼を中心とする摂理は、更にイサクからヤコブまで、三代にわたって延長されたのである。ゆえに、アブラハムの「象徴献祭」の失敗は、ノアの箱舟を中心とした「象徴献祭」と、カイン、アベルを中心とした「象徴献祭」の失敗を反復したことになってしまったのである。

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