2011年2月26日土曜日

第一章 復帰基台摂理時代 第一節 赤色(核心的内容)より

第一章 復帰基台摂理時代

第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理
第二節 ノアの家庭を中心とする復帰摂理
第三節 アブラハムの家庭を中心とする復帰摂理

第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理
アダムの家庭が「信仰基台」と「実体基台」とを復帰する蕩減条件を立てて、それによって「メシヤのための基台」をつくり、その上でメシヤを迎えるのでなければ、復帰摂理は成就できないのである。

第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理
(一)信仰基台
(二)実体基台
(三)アダムの家庭におけるメシヤのための基台とその喪失
(四)アダムの家庭が見せてくれた教訓

(一)信仰基台
第一に、「信仰基台」を復帰するためには、それを蕩減復帰するための何らかの条件物がなければならない。
アダムの家庭で立てなければならない、そのみ言の代わりの条件物とは、すなわち供え物であった。

第二に、「信仰基台」を復帰するためには、その基台を復帰できる中心人物がいなければならない。

聖書の記録を見ると、アダムが供え物をささげたとは書かれておらず、カインとアベルのときから供え物をささげたとなっている。その理由はどこにあったのであろうか。
このような目的のために、神はアダムの二人の子を、各々善悪二つの表示体として分立されたのち、彼らに、神かサタンかのどちらか一方だけが各々対応することのできる、すなわち、一人の主人とのみ相対する、原理的な立場に立ててから、各自供え物をささげるように仕向けられたのである。
カインは愛の初めの実であるので、その最初のつまずきであった天使長との愛による堕落行為を表徴する悪の表示体として、サタンと相対する立場に立てられたのであり、アベルは愛の二番目の実であるがゆえに、その二番目の過ちであったアダムとの愛による堕落行為を表徴する善の表示体として、神と対応することができる立場に立てられたのである。

(二)実体基台
アダムの家庭において「実体基台」がつくられるためには、カインが「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることにより、神がその献祭を喜んで受け得るような条件を立てるべきだったのである。
堕落人間がその堕落性を脱ぐためには、蕩減復帰原理により、次に記録されているように、その堕落性本性をもつようになった経路と反対の経路をたどることによって、蕩減条件を立てなければならなかったのである。

堕落人間がその堕落性を脱ぐためには、蕩減復帰原理により、次に記録されているように、その堕落性本性をもつようになった経路と反対の経路をたどることによって、蕩減条件を立てなければならなかったのである。
天使長が、神の愛をより多く受けていたアダムを愛することができなかったことによって堕落したので、「神と同じ立場をとれない堕落性」が生じた。それゆえに、この堕落性を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルを愛して、神の立場にあるのと同じ立場をとるべきであったのである。
第二に、天使長が、神にもっと近かったアダムを仲保に立て、彼を通じて神の愛を受けようとはせず、かえってアダムの位置を奪おうとして堕落してしまったので、「自己の位置を離れる堕落性」が生じた。ゆえに、この堕落性を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルを仲保として、彼を通じて神の愛を受ける立場をとることにより、自分の位置を守るべきであったのである。

「主管性を転倒する堕落性」が生じた。したがって、人間がこの堕落性を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインがアダムの立場にいるアベルに従順に屈伏して、彼の主管を受ける立場に立つことによって、主管性を正しく立てるべきであったのである。

「罪を繁殖する堕落性」が生じた。ゆえに、この堕落性を脱ぐためには、天使長の立場にいるカインが、自分よりも神の前に近く立っているアベルの相対となる立場をとり、アベルから善のみ言を伝え受けて、善を繁殖する立場に立つべきであったのである。
カインがアベルを殺害することによって、天使長が人間を堕落せしめた堕落性本性を反復するようになり、アダムの家庭が立てるべきであった「実体基台」は立てられなかった。したがって、アダムの家庭を中心とする復帰摂理は成し遂げられなかったのである。

(三)アダムの家庭におけるメシヤのための基台とその喪失
サタンが堕落人間を主管することによって、彼は人間が主管すべき万物世界までも主管するようになったのである。聖書に、万物が嘆息すると記録されている原因はここにある(ロマ八・22)。それゆえに、万物をもって「象徴献祭」をささげる第一の目的は、神の象徴的実体対象である万物を復帰するための蕩減条件を立てるところにある。

第二の目的は、実体人間を神の方に復帰するための、象徴的な蕩減条件を立てようとするところにある。

「実体献祭」は、実体人間を復帰するために、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることを意味する。そして、カイン的な存在がアベル的な存在を実体として献祭し、子女を復帰するための蕩減条件を立てるようになれば、それがとりもなおさず、次に解明されているように、父母を復帰するための蕩減条件ともなるので、「実体献祭」はみ意にかなう献祭となるのである。
「堕落性を脱ぐための蕩減条件」はカインが代表して立てなければならないのであるが、これが、いかなるわけで、アダムの家庭全体が立てたのと同じ結果になるかということを我々は知らなければならない。

カインがアベルに従順に屈伏して「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることによって、カインとアベルが、共に子女として「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を成し遂げた立場に立ち得たはずであった。また、カインとアベルは、善悪の母体であるアダムを分立した存在であったので、彼らが「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立ててサタンを分立したならば、その父母であるアダムはサタンを分立した立場に立つことができるので、その子女たちよりも先に「実体基台」の上に立つようになり、「メシヤのための基台」をつくったはずなのである。このように、父母を復帰するための蕩減条件は、「象徴献祭」と「実体献祭」とによって立てることができるのである。

(四)アダムの家庭が見せてくれた教訓

アダムの家庭を中心とする復帰摂理の失敗は、結果的に見て、まず第一に、み旨成就に対する神の予定と人間の責任分担に対して、神がどのような態度をとられるかを見せてくれた。
第二に、カインがアベルを殺したが、その後、神はアベルの身代わりとしてセツを立て、新たな摂理をなさることによって、み旨に対する神の予定は絶対的であり、人間に対するその予定は相対的であることを見せてくださった。

第三には、カインとアベルの献祭で、堕落人間は常にアベル的な存在を求め、彼に従順に屈伏することによって、初めて天が要求するみ旨を、自分も知らないうちに成し遂げていくということを見せてくださった。

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