2011年3月2日水曜日

第一章 復帰基台摂理時代 第三節 赤色(核心的内容)⑶より

(二)実体基台

イサクを中心として、「メシヤのための基台」を立てるには、更に、彼の子エサウとヤコブとを、カインとアベルの立場に分立して、「実体献祭」をささげ、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて、「実体基台」を完成しなければならなかった。

エサウとヤコブが「実体献祭」で、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てるためには、それに先立って、ヤコブがアベルの立場を蕩減復帰する条件を立てなければならなかった。そこで、ヤコブは次のようにして、「実体献祭」の中心人物であったアベルの立場を復帰するための蕩減条件を立てて、「実体献祭」をささげたのちに、アブラハムの「象徴献祭」の失敗による四〇〇年間の蕩減路程を歩むために、エジプトに入ったのである。
第一に、ヤコブは長子の嗣業を個人的に復帰する争いで、勝利の条件を立てなければならなかった。長子の嗣業を復帰しなければならない使命をもって胎内から選ばれたヤコブは、次子の立場から、知恵を用いて、パンとレンズ豆のあつものを与えて、エサウから長子の嗣業を奪ったのであるが(創二五・34)、ヤコブは長子の嗣業を重んじてそれを復帰しようとしたので、神はイサクに彼を祝福させた(創二七・27)。これに反してエサウは、それをパンとレンズ豆のあつもので売ってしまう程度に軽んじたので、彼を祝福なさらなかったのである。
第二に、ヤコブはサタン世界であるハランに行って、二十一年間苦労しながら、家庭と財物とを中心に、長子の嗣業を復帰する争いで勝利してカナンに帰ってきたのである。
第三に、ヤコブは、ハランから神が約束されたカナンの地へ帰ってくるとき、ヤボクの河で、天使との組み打ちに勝利して、実体で天使に対する主管性を復帰したのである。ヤコブはこのようにして、ついに、アベルの立場を蕩減復帰し、「実体献祭」のための中心人物となったのである。

エサウは、ヤコブがハランで二十一年間の苦役を終えて、天の側の妻子と財物とを得てカナンへ帰ってきたとき、(創三三・4)、彼らは「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てることができたのである

(三)メシヤのための基台
アダムの家庭から立てようとした「メシヤのための基台」は、復帰摂理の中心人物たちが彼らの責任分担を全うできなかったので、三時代にわたって延長され、アブラハムにまで至ったのである。しかしながら、み旨を完成しなければならないアブラハムが、また「象徴献祭」に失敗したので、このみ旨は、更にイサクにまで延長された。ゆえに、イサクの家庭を中心として、「信仰基台」と「実体基台」がつくられて、初めて「メシヤのための基台」が造成されたのである。したがって、メシヤは当然、このときに降臨なさらなければならない。
堕落人間が「メシヤのための基台」を立てるのは、既にサタンを中心としてつくられた世界を、メシヤのための王国に復帰できる基台をつくるためである。

アブラハムの時代には、既に、堕落人間たちがサタンを中心とする民族を形成してアブラハムの家庭と対決していたので、そのとき「メシヤのための家庭的な基台」がつくられたとしても、その基台の上にすぐにメシヤが降臨なさるわけにはいかない。すなわち、この基台が、サタン世界と対決できる民族的な版図の上に立てられたのち、初めてメシヤを迎えることがで きるのである。
彼が「象徴献祭」に失敗したので、これに対する罰として、「メシヤのための家庭的な基台」を造成したイサクの子孫たちは、故郷を離れて異邦の国に入り、四〇〇年間を苦役しながら民族的な基台を立てて、再びカナンに帰ってきたのちに初めて、「メシヤのための民族的な基台」がつくられるようになっていたのである。

ヤコブの家庭は、イサクの家庭を中心として立てられた「メシヤのための基台」の上で、アブラハムが犯した罪を担当して、四〇〇年の蕩減路程を歩んだのである。ヤコブの家庭は、アブラハムを中心とする復帰摂理の目的を完成しなければならないので、イサクの家庭と同じ立場でこの蕩減路程を出発するようになった。

アブラハムの「象徴献祭」の失敗による蕩減路程を担当したヤコブは、天のみ旨のため、知恵をもってエサウから長子の嗣業を奪うというかたちで個人的な争いに成功した。また、サタン世界であるハランに入って、彼の母の兄ラバンから長子の嗣業を家庭的に奪う二十一年間の争いに勝利した。そして、彼がハランからカナンへ帰る途中で、天使との組み打ちにも勝利して、人間始祖が堕落して以後、堕落人間として、初めて、天使に対する主管性を復帰できる蕩減条件を立てて、イスラエルという名前を受け、選民形成の基盤をつくったのである。
ヤコブは、このような路程をたどって、カナンへ帰ってきたのち、初めて、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てたので、サタンを屈伏させる典型路程において成功したのである。

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