2011年3月14日月曜日

第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理 第三節(二)⑵から

赤色(核心的内容)原理講論426~

(2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程

モーセの霊的カナン復帰路程を、ヨシュアが代わって実体路程として歩み、民族的カナン復帰を完遂したのと同じく、イエスは、今までの霊的カナン復帰路程を、再臨されてから実体路程として歩まれ、世界的カナン復帰を完遂されることによって、地上天国をつくらなければならないのである。このように再臨主は、初臨のときに実体をもって成就されようとした地上天国を、そのごとくにつくらなければならないので、あくまでも実体の人間として、地上に生まれなければならないのである

再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)(1))、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。

再臨主がいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、彼が立てられる実体的な「信仰基台」の上で、彼を絶対的に信じ、彼に従い、彼に侍る信徒たちが集まって、第三次世界的カナン復帰の実体路程のための「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を造成することによって「メシヤのための実体的な基台」をつくるようになることは確かである。

神の創造目的を、心情の因縁を中心として見るならば、神は、霊的な父母として、人間を実体の子女として創造されたのである。

神は天の血統を継承した直系の子女によって、地上天国をつくろうと計画されたのであった。しかし、既に堕落論において詳しく述べたように、人間始祖が天使長と血縁関係を結ぶことによって、すべての人類はサタンの血統を継承して、みな悪魔の子女となってしまったのである(マタイ三・7、マタイ二三・33<、ヨハネ八・44)。それゆえ、人間始祖は神と血縁関係を断ちきられた立場に陥ってしまったのであるが、これがすなわち堕落である。
それゆえに、神の復帰摂理の目的は、このように神との血統関係が断たれてしまった堕落人間を復帰して、神の直系の血統的子女を立てようとするところにあるのである。我々は、このような神の復帰摂理の秘密を聖書から探してみることにしよう。

ノアのときに至って、その二番目の息子であり、アベルの立場におかれていたハムの、その失敗によって、神と直接的な関係を結ぶところにまでは行かれなかったが、それでもノアが忠誠を尽くした基台があったので、僕の僕(創九・25)としての立場に立つことができ、神と間接的な関係を結ぶことができたのである。これがすなわち、旧約前の時代における神と人間との関係であった。
信仰の父であるアブラハムのときに至り、彼は、「メシヤのための家庭的な基台」をつくって、神の選民を立てたので、彼らは初めて神の僕の立場に復帰することができた(レビ二五・55)。これがすなわち、旧約時代における神と人間との関係であった。イエスが来られてのち、洗礼ヨハネの立場でもって立てられた、その「信仰基台」の上に立っていた弟子たちは、初めて、旧約時代の僕の立場から、養子の立場にまで復帰されたのである。彼らが神の直系の血統的子女となるためには、イエスに絶対的に服従して「実体基台」をつくることにより、「メシヤのための基台」を造成し、その基台の上に立っているイエスに、霊肉併せて接がれることによって(ロマ一一・17)、彼と一体とならなければならなかったのである。

キリスト教信徒たちは、神と血統を異にする子女であるので、神の前では養子とならざるを得ないのである。

再臨のイエスは、み言を中心とする「出発のための摂理」によって、「メシヤのための基台」を実体的に造成し、その基台の上で、すべての人類を霊肉併せて接がせることにより、彼らが原罪を脱いで、神の血統を受けた直系の子女として復帰できるようにしなければならないのである。

彼は、再臨される場合においても、その「メシヤのための基台」を、実体的に家庭的なものから出発して、順次、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的なものとして復帰され、その基台の上に、天国を成就するところまで行かなければならないのである。

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