2011年3月10日木曜日

第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理 第二節(二)⑶②(ロ)

赤色(核心的内容)
(ロ) ヨシュアを中心とする実体基台
それゆえに神は、ヨシュアをモーセの代理として立てられ、その内的イスラエルの民を彼に服従させ、彼と共に、「幕屋のための基台」の上に立たせることによって、磐石の水を中心とする「出発のための摂理」を成就され、この摂理に基づいて彼らがカナンの地に入ることにより、そこで、「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立て、第三次路程のヨシュアを中心とする「実体基台」をつくらせようとされたのであった。

モーセが第二次路程でカナンの地に偵察として送った十二人がいた(民数一三・1、2)。彼らの中でひたすら忠誠をもって、その使命を完遂した二人の心情の基台の上に、ヨシュアは再び二人の偵察(斥候)をエリコ城に送った(ヨシュア二・1)。その際、エリコ城の偵察を終えて戻ってきた二人の偵察者は、「ほんとうに主はこの国をことごとくわれわれの手にお与告したのである。このとき、荒野で出生したイスラエルの子孫たちは、みなその偵察者の言葉を信じたので、これをもって、過去に四十日偵察を、み意にかなうように立彼らが三日路程を経たのちに、雲の柱と火の柱とで表象されたイエスと聖霊の象徴的な実体である契約の箱が、彼らをヨルダン河まで導いたのであった(ヨシュア三・3、同三・8)。

ヨシュアを導いていた契約の箱がヨルダン河の水際に浸ると同時に、岸一面にあふれていたヨルダンの流れが分かれて(ヨシュア三・16)、ついてきたイスラエルの民は、陸地のように河を渡ったのである(ヨシュア三・2)

ヨシュアを中心とするイスラエルも、彼らが三日路程を経たのちに、雲の柱と火の柱とで表象されたイエスと聖霊の象徴的な実体である契約の箱が、彼らをヨルダン河まで導いたのであった(ヨシュア三・3、同三・8)。

ヨシュアを導いていた契約の箱がヨルダン河の水際に浸ると同時に、岸一面にあふれていたヨルダンの流れが分かれて(ヨシュア三・16)、ついてきたイスラエルの民は、陸地のように河を渡ったのである(ヨシュア三・17)。

このとき神はヨシュアに命じられて、「民のうちから、部族ごとにひとりずつ、合わせて十二人を選び、彼らに命じて言いなさい、『ヨルダンの中で祭司たちが足を踏みとどめたその所から、石十二を取り、それを携えて渡り、今夜あなたがたが宿る場所にすえなさい』」(ヨシュア四・2、3)と言われた。そしてイスラエルの民は、正月十日に、ヨルダン河から上がってきて、エリコの東の境にあるギルガルに宿営して、ヨルダン河から取ってきた十二の石をそこに立てたのであった(ヨシュア四・20)。

ギルガルに宿営したヨシュアを中心とするイスラエルの民も、その年の正月十四日の過越の祭を守ってのち、固く閉ざされていたエリコの城壁に向かって進軍したのであった。

イスラエル民族は、神の命令により、四万の兵士が先頭に立ち、そのあとにつき従って七人の祭司長たちが、七つのラッパを吹きながら行進し、またそのあとには、レビ部族の祭司長たちが担いだ契約の箱(ヨシュア三・3)が従い、最後の線にはイスラエルの全軍が続いて進軍したのであった(ヨシュア六・8、9)。

神が命じられたとおり、イスラエル民族は、このような行軍をもって一日に一度ずつ六日間、城を回ったのであるが、その城には何らの変動も起こらなかった。彼らは忍耐と服従とをもって、サタンの侵入を受けた六日間の創造期間を蕩減復帰しなければならなかったのである。彼らがこのような服従をもって六日間を立てたのち、七日目に七つのラッパを吹く七人の祭司たちが、城を七度回りながら七度目にラッパを吹いたとき、ヨシュアがイスラエルの民に向かって、「呼ばわりなさい。主はこの町をあなたがたに賜わった」と号令すると、民はみなこれに応じて、一斉に大声をあげて呼ばわったので、その城が、たちまちにして崩れてしまったのであった(ヨシュア六)。

破竹の勢いをもって敵を攻撃したヨシュアは、ベテホロンの戦いにおける十九王と、メロムの激戦における十二王を合わせて、三十一王を滅ぼしたのであるが(ヨシュア一二・9~24)、

③ メシヤのための基台
第三次の民族的カナン復帰路程の「実体基台」がつくられ、その結果としてこの路程の「メシヤのための基台」が造成されることによって、アブラハムのときに立てられた「メシヤのための家庭的な基台」は、彼の供え物の失敗による四〇〇年エジプト苦役の蕩減路程を経たのち、初めて「メシヤのための民族的な基台」が造成されるようになったのである。ところが、既に後編第一章第三節(三)を通じて詳しく論じたように、そのとき既に、堕落人間たちが、サタンを中心として、エジプト王国などの強大な王国を建設し、天の側の復帰摂理と対決していたので、ヨシュアを中心として「メシヤのための民族的な基台」が立てられたといっても、その基台の上でサタンと対決することのできる天の側の王国が建設されるときまでは、メシヤは降臨なさることができなかったのである。ところで、カナンに入った内的イスラエルも、また不信に陥り、この摂理は、再び延長を重ねてイエスのときにまで至ったのである。

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