2011年3月23日水曜日

第四章 摂理的同時性から見た復帰摂理時代と 復帰摂理延長時代 第六節

第六節 メシヤ降臨準備時代とメシヤ再降臨準備時代

イスラエル民族は、バビロンの捕虜の立場から、エルサレムに戻ってのち、メシヤ降臨準備時代の四〇〇年を経て、イエスを迎えたのであった。ゆえに、これを蕩減復帰するためには、キリスト教信徒たちも、法王がアヴィニョン捕虜生活からローマに帰還してのち、メシヤ再降臨準備時代の四〇〇年を経て、初めて再臨なさるイエスを迎え得るようになっているのである。

バビロンの捕虜生活から帰還してきたイスラエル民族は、ネブカデネザル王によって破壊された神殿を新築し、また、マラキ預言者の指導によって、邪神を崇拝してきた過去の罪を悔い改めながら、律法を研究し、信仰の刷新運動を起こすことによって「信仰基台」を復帰してきたのである。これと同じく、法王がローマに帰還したのちの中世におけるキリスト教信徒たちは、ルターなどを中心として、宗教の改革運動を起こし、中世暗黒時代の暗雲を貫いて、新しい福音の光に従い、信仰の新しい道を開拓することによって、「信仰基台」を復帰してきたのであった。

また、異邦人たちに対しては、これとほとんど同時代に、インドの釈迦牟尼(前五六五~四八五)によって印度教を発展せしめ、仏道の新しい土台を開拓するように道を運ばれたし、ギリシャでは、ソクラテス(前四七〇~三九九)の手でギリシャ文化時代を開拓せしめ、また、東洋においては、孔子(前五五二~四七九)によって儒教をもって人倫道徳を立てるようにされるなど、各々、その地方とその民族に適応する文化と宗教を立てられ、将来来られるメシヤを迎えるために必要な、心霊的準備をするように摂理されたのである。それゆえに、イエスはこのように準備された基台の上に来られ、キリスト教を中心としてユダヤ教(Hebraism)を整理し、ギリシャ文化(Hellenism)、および、仏教(Buddhism)と儒教(Confucianism)などの宗教を包摂することによって、その宗教と文化の全域を、一つのキリスト教文化圏内に統合しようとされたのである。

文芸復興時代は、メシヤ再降臨のためのその時代的な背景と環境とを造成するための時代であったのである。

イエスのときには、ローマ帝国の勃興により、地中海を中心として形成された広大な政治的版図と、四方八方に発達した交通の便、そして、ギリシャ語を中心として形成された広範なる文化的版図などによって、キリストを中心とするイスラエル、イスラエルを中心とするローマ、ローマを中心とする世界へと、メシヤ思想が急速に拡張し得る平面的な基台が、既に造成されていたのであった。これと同じく、彼の再臨のときに当たる今日においても、列強の興隆により、自由を基盤とした民主主義の政治的版図が全世界的に広められているのであり、交通および通信の飛躍的な発達によって、東西の距離は極度に短縮され、また、言語と文化とが世界的に交流しあい、メシヤ再降臨のための思潮が、自由にかつ迅速に、全人類の胸底に流れこむことができるように、既に、その平面的版図が完全に造成されているのである。

第七節 復帰摂理から見た歴史発展
(一)復帰摂理時代における歴史発展
(二)復帰摂理延長時代における歴史発展

創造原理で、既に論じたように、地上天国は、完成した人間一人の姿と同じ世界である。したがって、堕落した世界は、堕落した人間一人の姿に似ているということができる。ゆえに、我々は堕落した人間一人の生活を調べてみることによって、人類罪悪史の全体的な動向を、のぞき見ることができるといわなければならない。

それ自身の内部で闘争を行っている各個体が、横的に連結して生活を営んでいるのが社会なので、そこでもまた、闘争が起こらざるを得ないようになっているのである。さらに、このように闘争によってもつれあっている社会生活が、時間の流れとともに、縦的に変転してきたのが、人類の歴史なので、この歴史は、必然的に闘争と戦争とをもって連係されるものとならざるを得ないのである。

このような人間たちによってつくられてきた歴史は、善悪が交錯する渦の中にありながら、大局的には、悪を退け、善を指向してきたというのが事実なのである。それゆえに、歴史が指向する終局的な世界は、すなわち善の目的が成就された天国でなければならないのである。

人間がサタンと血縁関係を結んだことにより、サタンは、堕落した人間を中心として、将来、神がつくろうとなさるものと同じ型の世界を、先立ってつくってきたので、結果的に、人類歴史は、原理型の非原理世界を形成してきたのであった。したがって、人類歴史の終末においては、神が地上天国を復帰される前に、サタンを中心とする、それと同じ型の非原理世界が、先につくられるようになっているのである。これが、すなわち、共産主義世界なのである。

(一)復帰摂理時代における歴史発展

堕落した人間たちによって、最初につくられた社会は原始共同社会であった。

神の復帰摂理に対応しようとする人間の本心の作用によって、サタンを中心として造成された原始共同社会には、最初から闘いによる分裂が生じていたのであった。

事実上、神はこのような罪悪世界から、善を中心とするアブラハムを呼びだされて、彼を通じて、神のみ旨を信奉し得る子女を繁殖することによって、イスラエルの氏族社会を立てられたのであった。その後、アブラハムの子孫たちは、エジプトに入って、氏族から部族へと発展してきたのであり、彼らがカナンに戻ってきたのちには、士師時代をつくったのであるが、この士師時代を中心として形成された社会が、すなわち、イスラエルの封建社会であったのである。

氏族社会が封建社会に発展するようになったのは、サタンの所有を天の側に奪い返すことによって、天の側の主権に属するより大きい版図を形成し、サタンの侵入を防ぐためであったのである。

イスラエルの封建社会をもって、サタン側の侵入を防ぐことができる小単位の天の側の主権と、民と、経済的な版図とを形成したのち、再びこれらを統合して、より大きい主権と、民と、経済的な版図とを拡張し強化するために、イスラエルの君主社会がつくられたのであったが、これが、すなわち、サウル王をもって始まった統一王国時代であった。

既に、前にも言及したように、イエスはどこまでも王の王として来られた方であった(黙一一・15)。それゆえに、神がイスラエル民族の君主社会を形成されたのは、将来メシヤが来られて、王の王として君臨することができるその基台を造成なさるためであったのである。

神はユダヤ王国を滅ぼされたのち、メシヤが降臨されるときまで、ユダヤ民族を多くの異邦に属するようになさることによって、この民族の王位を空位にしておかれたのであった。特に、ユダヤ民族を、民主主義の礎であるギリシャ文明圏内の属国となるように道を運ばれて、将来、メシヤが降臨されたとき、もしユダヤ民族が彼を歓迎するならば、民意によっていつでもメシヤが王位を継ぐことができるように、民主主義型の社会をつくっておかれたのであった。ところが、ユダヤ人たちの民意はイエスに王位を継がせるという方向を取らず、かえって、彼を十字架で殺害してしまったので、これをもってアブラハムの血統的な子孫を中心として成就されようとした二〇〇〇年の復帰摂理の目的は、霊的にしか達成されないようになったのである。

(二)復帰摂理延長時代における歴史発展
(1) 復帰摂理と西洋史

ユダヤ民族がイエスをメシヤとして信じ、彼に仕えて彼と一つになっていたならば、ローマ帝国を中心として地中海を基盤として成立していた古代の統一世界は、当然生きておられるイエスによって感化され、彼を王として信奉し、エルサレムを中心とする王国を建設し得たはずであった。

神の復帰摂理は、恨みの地ユダヤより、西ローマの版図であった西欧に移されていったのである。したがって、イエス以後におけるキリスト教による霊的復帰摂理は、西欧を土台として成就されてきたので、この時代の復帰摂理歴史は、西欧においてのみ、典型路程に従って発展するようになったのである。

(2) 宗教史と経済史と政治史との相互関係

人間は、堕落することにより、霊肉両面の無知に陥るようになったのである。ここにおいて、人間の霊的無知は宗教によって、また、その肉的無知は科学によって啓発されてきたのであるが、

探求していく対象が、宗教においては目に見えない原因の世界であるので、超現実的なものであるのに反し、科学においては目に見える結果の世界、すなわち、物質世界であり、これは現実的なものであるがゆえに、今まで、宗教と科学は、理論的に妥協することのできないものとして、衝突を免れ得なかった。

神は元来、人間の外的な肉身を先に創造され、その次に、内的な霊人体を創造されたので(創二・7)、再創造の原則によって、復帰摂理も、外的なものから内的なものへと復帰していく過程を踏むようになるのである。このような摂理的な原則から見ても、科学と宗教とは互いに調和することのできない発展過程を事実上歩んできたのである。
このような不調和は、宗教と経済との関係においても同じである。それは、経済もまた科学と同じく現実世界に属するものであり、その上、科学の発達と密接な関係をもって発展するものだからである。このような関係により、神の内的な摂理による宗教史と、その外的な摂理による経済史とは、その発展においても、互いに、方向と進度を異にせざるを得なかったのである。ゆえに、かかる神の復帰摂理の典型路程を歩んできた西欧における歴史発展を、摂理的な面から把握するためには、キリスト教史と経済史とを各々別に分けて考察しなければならないのである。

宗教と科学とは、したがって、宗教と経済とは、その発展過程において、互いに対立しあう側面をもちながらも、我々の社会生活と関係を結んで、それぞれが、各々キリスト教史と経済史とを、形成してきたのであった。では、それらは、我々の社会生活と、いかにして結びつくことができたのであろうか。それは、とりもなおさず、政治によって結ばれたのである。

その政治史は、宗教と経済とを調和させていくいま一つの新しい方向に向かうようになったのである。したがって、復帰摂理のための歴史の発展を正確に把握するためには、政治史に対してもこれまた、別途に考察することが必要となってくるのである。

(3) 氏 族 社 会

イエスを殺害したユダヤ民族は、既に、サタン側の系列に転落してしまったので、神はこの社会をそのままに放置しては復帰摂理をなさることができなかったのである。したがって、神はこの社会を分裂させ、その中から、篤実なキリスト教信徒だけを呼びだされて、彼らを中心としてキリスト教氏族社会を立てられたのである。

キリスト教氏族社会は、地中海を基盤とした古代統一世界の中で、ローマ帝国の厳しい迫害を受けながら繁栄し、キリスト教部族社会を形成するに至ったのであった。そして、四世紀後半から始まった民族大移動により、西ローマ帝国は、ついに四七六年に滅亡してしまい、その版図内に移動してきたゲルマン民族にキリスト教が浸透することによって、彼らを中心とした広範なキリスト教社会がつくられたのである。

(4) 封 建 社 会

歴史の発展過程において、氏族社会の次にくるものは、封建社会である。このような原則によって、西ローマ帝国の滅亡と前後して王権が衰退してしまい、国家が無秩序な状態に陥ったとき、封建社会が形成されはじめたのである。

神は、ゲルマン民族を、新しい選民として教化され、封建社会を樹立されることにより、衰亡した西欧の土台の上に、宗教と政治と経済の三面にわたる、小単位の天の側の版図を強化し、将来、天の側の王国を建設するための基台を、準備することができたのである。

(5) 君主社会と帝国主義社会

歴史の発展過程において、封建社会の次にくるのは君主社会である。

(6) 民主主義と社会主義

君主主義のあとにきたものは民主主義時代であった。ところで、君主主義時代がくるようになった理由は、既に明らかにしたように、将来、メシヤを王として迎えることができる王国を建設するためであったのである。しかるに、この時代が、そのような使命を完遂することができなかったので、神は、この社会を打ち壊し、メシヤ王国を再建するための新しい摂理をされるために、民主主義を立てられたのである。

人間は、このような理想をもって創造されたので、その理想を復帰し得る摂理歴史の終末期に至り、民主主義的な自由を獲得し、人間の本性を探し求めていくならば、結局、だれもがこのような社会主義的な生活体制を要求せざるを得ないようになるのである。したがって、民意がこのようなものを要求するようになれば、民意による政治も、そのような方向に向かって進まざるを得ないようになるので、最後には、神を中心とする社会主義社会が現れなければならない。

(7) 共生共栄共義主義と共産主義
天の側の社会主義社会を指向する人間の本心は、結局、共生共栄共義主義を主唱し、神の創造目的を完成した理想世界をつくるところにまで行かなければならないのであるが、この世界が、すなわち、再臨されるイエスを中心とする地上天国なのである。
サタンは、神の摂理を先立って成就していくので、サタンの側からは、先に、唯物史観に立脚した、いわゆる科学的社会主義を叫びながら共産主義世界へと進んでいく。

我々は、既に、西欧を中心としてつくられた復帰摂理歴史が、宗教史と政治史と経済史の三面に分立され、各各が、公式的な路程を通じて発展してきたということを明らかにした。それでは、これらはいったいどのようにすれば、お互いが同一の歴史路程に導かれて融合される摂理歴史をもって終結し、再臨理想の基台を準備することができるであろうか。

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