赤色(核心的内容)
第一節 サタン屈伏の典型的路程
第二節 モーセを中心とする復帰摂理
第三節 イエスを中心とする復帰摂理
神が、ヤコブとモーセを立てて復帰摂理路程を歩ませ、それをもって、将来、イエスが来られて、人類救済のために歩まねばならない摂理を、どのようなかたちで表示してくださったかということについて調べてみることにする。
第一節 サタン屈伏の典型的路程
(一)イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程とを立てられた理由
(二)ヤコブ路程を見本として歩いたモーセ路程とイエス路程
イサクの家庭を中心とする復帰摂理において、「実体基台」を立てる中心人物であったヤコブが、アベルの立場を確立して、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てるために、サタンを屈伏してきた全路程は、ヤコブによるその象徴路程を、形象的に歩まなければならないモーセ路程と、それを実体的に歩まなければならないイエス路程とを、あらかじめ示した典型路程であった。そして、この路程は、イスラエル民族と全人類が、摂理の目的を成就するために、サタンを屈伏させながら歩まなければならない、表示路程でもあるのである。
(一)イエスの典型路程としてヤコブ路程とモーセ路程とを立てられた理由
復帰摂理の目的は、究極的には人間自身がその責任分担として、サタンを自然屈伏させ、それを主管し得るようになることによって成就されるのである。イエスが、人間祖先として、メシヤの使命を負うて来られたのも、サタン屈伏の最終的路程を開拓し、すべての信徒たちをその路程に従わせることによって、サタンを自然屈伏させるためである。
第二節 モーセを中心とする復帰摂理
(一)モーセを中心とする復帰摂理の概観
(二)モーセを中心とする民族的カナン復帰路程
(三)モーセ路程が見せてくれた教訓
(一)モーセを中心とする復帰摂理の概観
モーセを中心とする復帰摂理は、アブラハムを中心とする復帰摂理において既に立てられた「メシヤのための基台」の上で達成されなければならないのであるが、「信仰基台」と「実体基台」とを蕩減復帰して、「メシヤのための基台」をつくらなければならないという原則は、彼においても、何ら異なるところはなかったのである。
(1) 信 仰 基 台
① 信仰基台を復帰する中心人物
アブラハムの象徴献祭の失敗によって生じた、その子孫たちのエジプト苦役四〇〇年期間が終わってのち、イスラエル民族がカナンの福地に復帰する路程において、「信仰基台」を復帰する中心人物は、モーセであった。
アダム、ノア、アブラハムなどと比べて、モーセの異なる点が何であったかということについて、調べてみることにしよう。
その第一はモーセが神の代理となり、神として立てられたということである。それゆえに、出エジプト記四章16節を見れば、神はモーセにイスラエルの預言者アロンの前で、「あなたは彼のために、神に代るであろう」と言われ、
第二に、モーセは、将来来られるイエスの模擬者であった。
モーセは、イエスの模擬者として、将来イエスが歩まれる路程を、そのとおり、先に歩むことによって、あたかも、洗礼ヨハネが、イエスの道を直くしなければならなかったように (ヨハネ一・23)、彼もイエスが将来歩まれる道を、前もって開拓したのであった。
ヨハネ福音書五章19節を見れば、イエスは、父のなさることを見てする以外に、自分からは何事もすることができないと言われた。
② 信仰基台を復帰するための条件物
モーセは、既に論じたように、モーセ以前の
摂理路程において、「信仰基台」を復帰してきた他の中心人物たちとは、別の立場に立っていた。それゆえに、モーセは、アベルとか、ノアとか、あるいはアブラハムのように、象徴献祭をしなくても、神のみ言を中心として、「四十日サタン分立基台」だけを立てれば、「信仰基台」を蕩減復帰することができたのである。その理由を挙げれば、まず第一に、モーセは、アベル、ノア、イサクなどが、三次にわたる象徴献祭を成功させることにより、象徴献祭による摂理を完了した基台の上に立っていたからである。
(2) 実 体 基 台
復帰基台摂理時代においては「家庭的な実体基台」を立てる摂理をなさった。しかし、復帰摂理時代になると、その次元が上がって、「民族的な実体基台」を立てる摂理をなさるようになるのである。
モーセがアベルの位置を確立したのち、イスラエル民族がカインの立場で、モーセを通じて「堕落性を脱ぐための民族的な蕩減条件」を立てるならば、そこに「実体基台」はつくられるのであった。
(3) メシヤのための基台
モーセが「民族的な信仰基台」を蕩減復帰して、モーセを中心とするイスラエル民族が、「民族的な実体基台」を蕩減復帰すれば、それがすなわち、「メシヤのための民族的基台」となるのである。
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