2011年3月13日日曜日

第二章 モーセとイエスを中心とする復帰摂理 第三節(二)⑴③から

赤色(核心的内容)原理講論416~426

③ 四十日断食と三大試練とをもってサタンを分立した結果

第一に、イエスは洗礼ヨハネの立場で、第二次世界的カナン復帰のための「信仰基台」を蕩減復帰されたので、そのときまでの摂理路程において、「信仰基台」をつくるために立てようとされた、すべてのものを蕩減復帰することができたのである。

イエスは、アダム以後四〇〇〇年間の縦的な歴史路程を通じて「信仰基台」を復帰するに当たって、その中心人物たちの失敗によって失うに至ったすべての「四十日サタン分立基台」を、横的に一時に蕩減復帰することができたのである。

第二にイエスは、洗礼ヨハネの立場からメシヤの立場に立つための「信仰基台」を造成したので、神の三大祝福を成就して、四位基台を蕩減復帰することができる条件を立てられたのである。

(2) 実 体 基 台

イエスは、人類の真の親として来られ、洗礼ヨハネの立場で「四十日サタン分立基台」を蕩減復帰されたので、父母の立場に立って「信仰基台」を復帰すると同時に、子女の立場でもって「堕落性を脱ぐための世界的蕩減条件」を立てるに当たってのアベルの位置をも確立されたのであった。

イエスは、石板と幕屋と契約の箱との三大恩賜と十戒の実体であられるから、第二次世界的カナン復帰路程においては、イエス自身がみ言と奇跡とをもってその「出発のための摂理」をされたのであった。したがって、カインの立場におかれていたユダヤ民族が、この「出発のための摂理」によって洗礼ヨハネの使命を担い、アベルの立場に立っていたイエスを信じ、彼に仕え、彼に従ったならば、「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立てて「実体基台」を復帰するようになるので「メシヤのための基台」を造成することができるようになっていたのである。もしこのようになったならば、イエスは、この基台の上で、洗礼ヨハネの立場からメシヤとしての立場に上がるようになり、すべての人類は、彼に接がれて(ロマ一一・17)、重生し、原罪を脱いで神と心情的に一体となることによって、創造本性を復帰し、地上天国をつくることができたはずであったのである。

(3) 第二次世界的カナン復帰路程の失敗

果たして、サタンは、不信に陥った祭司たちと律法学者たちを中心とするユダヤ民族、特に、イエスを売った弟子、イスカリオテのユダを通して、再びイエスの前に現れて、対立したのであった。

このようにユダヤ民族の不信によって、第二次世界的カナン復帰路程のための「実体基台」はつくり得なくなり、それに伴ってこの摂理のための「メシヤのための基台」もまた造成することができなくなったために、第二次世界的カナン復帰路程は、これまた失敗に終わってしまったのである。

(三)第三次世界的カナン復帰路程
(1) イエスを中心とする霊的カナン復帰路程

世界的カナン復帰路程におけるユダヤ民族の信仰の対象は、幕屋の実体として来られたイエスであったので、その弟子たちまでが不信に陥ってしまうと、もうその信仰を挽回する余地はなく、イエスが、「モーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない」(ヨハネ三・14)と言われたみ言のとおり、その肉身は十字架につけられ、死の道を歩まなければならなくなったのである。このように、ユダヤ民族は、霊肉を併せた信仰の対象を失った結果、第三次世界的カナン復帰路程は、第三次民族的カナン復帰路程と同じく、直接、実体の路程としては出発することができず、したがって、第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが復活されたイエスを、再び信仰の対象として立てることをもって、まず、霊的路程として出発するようになったのである。

ヨシュアがモーセの使命を継承して、第三次民族的カナン復帰を完成したように、イエスは、再臨されることによって、初臨のときの使命を継承され、第三次世界的カナン復帰路程を、霊肉併せて完成されるようになるのである。

① 霊的な信仰基台

イエスが十字架によってその肉身をサタンに引き渡したのち、霊的洗礼ヨハネの使命者としての立場から、四十日復活期間をもってサタン分立の霊的基台を立てることにより、第三次世界的カナン復帰の霊的路程のための、霊的な「信仰基台」を復帰されたのである。

② 霊的な実体基台

イエスは、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的な復活「四十日サタン分立基台」を造成なさることにより、霊的な真の父母の立場でもって霊的な「信仰基台」を復帰すると同時に、また、霊的な子女の立場でもって「堕落性を脱ぐための世界的な蕩減条件」を立てるための、霊的なアベルの位置をも確立されたのである。

モーセのときには、「幕屋のための基台」を立てることによって「出発のための摂理」をされた。しかし、復活されたイエスは、ガリラヤに四散していた弟子たちを呼び集められて、自身が石板と幕屋と契約の箱との霊的な実体となられ、弟子たちに一切の奇跡の権威を授けられることによって(マタイニ八・16~18)、「出発のための摂理」をされたのである。
ここにおいて、カインの立場に立っていた信徒たちは、この「出発のための摂理」により、霊的な洗礼ヨハネ使命者として、霊的なアベルの立場におられる、復活されたイエスを信じ、彼に仕え、彼に従って、「堕落性を脱ぐための霊的な蕩減条件」を立てることにより、「霊的な実体基台」を復帰することができたのである。

③ メシヤのための霊的な基台

イエスが十字架で亡くなられたのち、取り残された十一人の弟子たちはみな力を失って、四方に散らばってしまっていた。ところが、イエスは復活されるとまた、彼らを再びひとところに集められ、霊的カナン復帰の新しい摂理を始められたのである。弟子たちは、イスカリオテのユダの代わりにマッテヤを選んで、十二弟子の数を整え、復活されたイエスを命を懸けて信奉することにより、「霊的な実体基台」を造成し、それによって「メシヤのための霊的な基台」を復帰した。そこでイエスは、この基台の上で、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的なメシヤの立場を確立し、聖霊を復帰することによって、霊的な真の父母となり、重生の摂理をされるようになったのである。

④ 霊的カナン復帰

キリスト教信徒たちは「メシヤのための霊的基台」の上で霊的メシヤとして立たせられたイエスを信じ侍ることによって、霊的カナン復帰だけを完成するようになった。それゆえに、霊的カナン復帰の恵沢圏内にいる信徒たちの肉身は、ちょうど十字架によってサタンの侵入を受けたイエスの肉身と同じ立場に立つようになるので、(肉身の面から見れば)イエスが来られる前の状態と異なるところがなく、サタンの侵入を受けることにより、原罪は依然として元のままに残っているので(ロマ七・25)、信徒たちもまた、キリスト再臨のための、サタン再分立の路程を歩まなければならなくなったのである

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